そのイヤホンを外させたい

甘美なる歌声は邪魔しない。/鹿島茂『「悪知恵」のすすめ』

こんにちは山中です。

トランプ大統領による外国人入国制限のニュースがメディアを騒がせていますね。
悪い意味で期待を裏切らないというか、今回の出来事をきっかけにこの先ますます世界情勢は泥沼化していくでしょう。

今回の話題含め、外交問題に関する記事を読んでいると、各国の首脳を童話の登場人物に見立てて皮肉ったものをたまに見かけます。

どうやら人種や宗教の問題が絡んでくればくるほど、こうした風刺的な報道が多くなるみたいです。

イギリスの風刺漫画雑誌『パンチ』掲載、グレート・ゲームの風刺画。

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熊(ロシア)とライオン(イギリス)に狙われたアフガニスタン。(Wikipediaより引用)


スウィフトの『ガリヴァー旅行記』なんかを読んでも分かるように、寓話というのは数ある物語のジャンルの中でも、最も生の現実に接近したタフな表現形式と言えます。


てなわけで、今日は寓話の魅力について書かれた本を紹介します。

鹿島茂『悪知恵のすすめ』。
サブタイトルは、「ラ・フォンテーヌの寓話に学ぶ処世訓」です。

ラ・フォンテーヌの寓話について

ラ・フォンテーヌの寓話を知っていますか?
自分は名前は聞いたことはあったものの、本書を手にするまでその内容を知りませんでした。

ラ・フォンテーヌは17世紀フランスの詩人で、『イソップ寓話』をもとにした寓話詩を書きました。

著者の鹿島茂さんは本書の冒頭で、フランス文学を研究している人間でもラ・フォンテーヌの寓話を読む人はあまりいないと言っています。

僕自身も本好きの友人が何人かいますが、話題にあがったことは一度もないですね。フランス文学でなおかつ寓話詩っていうとなんとなく甘ったるいイメージを抱きがちで、それほど興味をそそられませんでした。

しかし、実際の作品は自分が勝手に抱いていたイメージとは180度異なります。鹿島さんの言葉を借りれば、「その冷徹ぶりたるや、マキャベリの『君主論』にだって負けない」というのです。なんだかゾクゾクしませんか? 自分はこういうの大好きです。

フランス的とはなにか

本書で紹介されている寓話には、変化の激しい時代を生き抜くためのしたたかな知恵が数多く詰まっていますが、著者いわく、その全てに一貫して流れているのは世界のどこにも類例のないフランス的なメンタリティーです。

一言で要約するなら、それは負け惜しみの美学のようなもの。

本書の冒頭に載っている例をもとに説明します。

イソップ童話』に「キツネとブドウ」というそこそこ有名な話があります。

腹を空かせたキツネが支柱から垂れ下がるブドウを見て取ってやろうと思ったがどうやっても手が届かない。あきらめたキツネは去り際に一言。「あのブドウはまだ熟れていない」。


能力のない人間はできない理由を自分以外に求める。

自己啓発書なんかでよく引き合いに出されるポピュラーな教訓です。

ラ・フォンテーヌの寓話にも同じ話があるそうです。しかし、そこから得られる教訓はイソップのそれと全く異なる。

ラ・フォンテーヌの寓話のキツネは、手の届かないブドウに対して「あれはまだ青すぎる。下郎の食うものだ」と捨て台詞を残します。反応としてはイソップのキツネとほぼ同じです。

が、ラ・フォンテーヌはキツネの負け惜しみを「愚痴をこぼすよりまし」として高く評価しているのです。

欲しいものが手に入らずにもんもんとするくらいなら、「そんなものいるか」と言って小馬鹿にした方が健康的だという考え方。これがフランス流。

見方によってはただ虚勢を張っているようにしか映りませんが、こういう合理的なズルさこそ、リーダーシップや勤勉さ以上に土壇場で自分を救う力になると思います。嫌味じゃない感じでさらっと言えると強いですよね。

白鳥の歌声とガチョウのスープ

最後に、自分好みの寓話を一つ紹介します。


「白鳥と料理人」の話

大邸宅の一角にある飼育園で白鳥とガチョウが暮らしていた。
白鳥は池を優雅に泳いで主人や招待客の目を楽しませた。
ガチョウは、その滋味豊かな肉を主人や招待客に提供していた。
ある日、酔っ払った邸宅の料理人が、てっきりガチョウだと思い込んで白鳥のくびを掴んだ。くびをしめて今夜のスープに入れるつもりである。
白鳥が、美しい声を発して嘆きを訴えたところ、料理人は間違いを悟って手を離した。

この話の最後にラ・フォンテーヌがつけた教訓。

たとえ、重大な危険が迫っているときであろうとも、甘美なる歌声は決して邪魔にはならないのだ。

国の緊急時には芸術は腹の足しにならない最たるものとして見向きもされなくなるのが常だけれど、しかしそんな時でも、いや、そんな時だからこそ、普段すぐに役に立たないものが役に立つこともあるのだ、という戒めです。

文学部を卒業した身にとって、この白鳥の歌の話はなかなか刺さるものがあります。

作り手と受け手どちらにせよ、芸術に関わる人間は自分がやっていることのあまりの実益のなさを嘆いた経験が多かれ少なかれあるのではないでしょうか。

自分もつい最近までしょっちゅう嘆いていました。
「おれはどうして文学部なんて出ちゃったんだろ。会社で役立たない知識ばかり中途半端に詰め込んで一体この先どうなるんだ?」なんて。芸術全般を恨んだ時期もあった。

今もその不安は変わらずあります。でもここにきてようやく、なんの役にも立たないと思っていたものこそ実は水面下で自分を支え続けてくれていたことに気づかされました。

過去の自分は話の中の料理人のように、白鳥をガチョウと勘違いしてくびをしめていただけだったんです。

そんな意味で、この「白鳥と料理人」の寓話の教訓は、ここ最近の自分の心持ちに近いものがあるなぁとうれしく感じたのでした。


それでは。

寓話〈上〉 (岩波文庫)

寓話〈上〉 (岩波文庫)

曼荼羅のように艶めかしく美しい仏教漫画『阿吽』の感想

今日はおかざき真里『阿吽』の感想。


「阿吽(あうん)の呼吸」の“阿吽”がもともと仏教用語だということをはじめて知った。


“阿吽”には、宇宙のはじまりと終わりという意味がある。


圧倒的画力

『阿吽』は、日本仏教史上の二人の大天才、最澄空海を主人公にした仏教漫画だ。

作者にとっては新境地開拓ということらしい。

自分は作者の過去作品を読んだことはないのだけど、恋愛漫画をメインに書かれていた方みたいですね。ガラリと題材変えてきたなぁ。

でも、その方向転換正解だったと思う。

美しい。

少女漫画風な絵のタッチと仏教的な世界観が意外なくらいにマッチしていて、平安時代の妖しげな雰囲気がよく出ている。

密教曼荼羅を思わせる艶かしい画風です。

似た者同士の最澄空海

日本人の教科書を注意して読めば、最澄(767年〜822年)と空海(774年〜835年)の生きた時代が重なっていること、二人が同じ遣唐使船に乗って海を渡ったという歴史的事実を容易に知ることができる。

作者はその教科書的な知識から想像力の翼を広げて、血の通った人間としての最澄空海を活写している。

一見、二人の天才は対照的で共通点はないように感じられる。だが、自身の追い求める真理が既存の日本仏教の中ではなく、海を渡った先にしか存在しないと直感を働かせていた点で二人は似た者同士、まさに阿吽の呼吸をしていた。

自分は仏教にそれほど詳しくないですが、仏教家の良し悪しは、つまるところブッダの言葉をどれだけ広く深いところで解釈できるかで決まるんじゃないかと思ったりします。

最澄空海は共に万巻の書を読んで誰よりも頭に知識を詰め込んだ知識人です。ですが、彼らが宗教家として優れていたのは、知識をそのまま鵜呑みにせずに、そこに自分なりの解釈と経験から得た気づきを付け加えることで、より高次の知恵を生み出す才能があったからではないでしょうか。

本作はあくまでも漫画なので歴史的事実と異なる点も多いですが、実人生を通じて自身の仏教観、宇宙観を練り上げていく宗教家の苦闘を物語を楽しみながら知ることができるので、仏教入門書としておすすめです。

ちなみに、自分は実家がたまたま真言宗豊山派ということで空海に前々から興味があります。

師の代表作『秘蔵宝鑰』も前に読んだ。
角川ソフィア文庫版はとても分かりやすい訳で空海の言葉が頭にスッと入ってきます。

その時書いた記事はこちら。


空海について書いたもので他に分かりやすかったのは、苫米地英人さんの『超訳 空海』ですかね。

超訳 空海 (PHP文庫)

超訳 空海 (PHP文庫)


空海の思想の基本をおさえると同時に、著者らしい新解釈を展開しているのが楽しい1冊です。

自分がこの本で気に入ってるのは、空海の代表的な言葉が50個ほど収録されていることです。

その中から個人的に好きなのを1個引用して今日は終わります。下が訳です。

哀しい哉、哀しい哉、哀が中の哀なり。悲しい哉、悲しい哉、悲が中の悲なり。覚の朝には夢虎無く、悟な日には幻象無しと云うと雖も、然れども猶夢夜の別、不覚の涙に忍びず。

哀しくて、哀しくって。言葉で言い表せないほど、哀しくて、哀しい。
悲しくて、悲しくって。心で表し尽くせないほど、悲しくて、悲しい。
悟りを開けば、何ものにも惑わされないというけれど、現実に愛する人との別れには、涙を流さずにはいられなかったのです。

超訳 空海』p183より引用
原典は『遍照発揮性霊集 巻第八』


それでは、また。

年収280万の独身アラサー男子が「タラレバ娘」から読み取るべきこと。

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ついに放送がスタートしたTVドラマ『東京タラレバ娘』。

ドラマ化を機に世間的認知度も高まり、職場やプライベートで本作の話題が上がることが多いです。

自分も原作と比較検討しながら楽しく観させて頂きました。

東京タラレバ娘(1) (KC KISS)

東京タラレバ娘(1) (KC KISS)


「物足りない」という意見もチラホラあるようですが、個人的には悪くなかったかなと。原作のイメージをぶち壊さないための配慮が行き届いた演出だったと思います。

倫子が早坂にフラれるシーンで彼女の胸に矢が突き刺さる演出は、最初『アリーmyラブ』のパクリやんけ! と思ったのですが、原作確認するとコマ小さいながらちゃんと描いてあります。

意図的なものかは知りませんが、ある程度の社会的地位はあるものの男運には一向に恵まれないアラサー女子の困難な恋愛を描く点では、「タラレバ娘」には「アリー」のDNAが流れていると言えるかもしれません。


作品の中に自分を見出せない問題

ドラマを観てつくづく感じたのは、「タラレバ娘」の世界って自分のような低スペックのサラリーマンにはあんま関係ないよなってことです。俺、年収280万くらいだし。

物語のどこを見ても自分を見出せない。圧倒的お呼びじゃない感に不覚にも傷ついてしまった男性はわりと多いのではないかと思う。『闇金ウシジマくん』を読むのとは別の意味でソワソワする。

だから、「自業自得」「ざまぁみろ」など、本作に対して辛辣な男性読者の意見が多く寄せられるのもうなずけます。

倫子たちタラレバ3人娘の恋の相手として話題にのぼる男性は、商社やテレビのプロデューサー、ミュージシャンなど社会的地位の高い男性ばかりです。

「年も年だし贅沢はしないから結婚相手が欲しい」と口では言いつつも、実際には男性に多くを望み過ぎているタラレバ娘たちの二枚舌に、女性の地位向上を声高に叫びながら、そのくせ都合の悪い部分では旧時代的な価値観や風習に迎合して「いいとこ取り」をしようとする女性の身勝手さを感じます。

「タラレバ娘」がこれほどまでに人気を博したのは、婚活に悪戦苦闘する主人公たちの姿が独身アラサー女子の共感を呼んだことに加えて、彼女らの物質主義的な「ものさし」を心良く思っていなかった男性たちのミソジニー(女性嫌悪)の感情を掻き立てることに成功したからではないでしょうか。

相手にとって「糟糠の妻/夫」であること

でもまぁ、だからと言って男と女どっちが悪いという話ではないです。本作に登場する男性陣は、それが全体の中のごく一部とは言え、なかなかのクズっぷりを発揮していますから。

タラレバ3人娘にしたって、女性全体で考えれば少数派じゃないかと。

あくまでも僕個人の経験ですが、30過ぎてこれほどまで自分本位な恋愛観、結婚観を持ってる女性は稀だと思います。恋愛市場価値の高い20代の内ならまだしも、30過ぎると自分がそれまで「若さ」だけでチヤホヤされていた現実をいやというほど味わうらしい。

一周まわって悟ったような人が多い印象があります。結婚観を訊いても、「一人が倒れたらもう一人がカバーする。そんな夫婦関係でいい」なんて糟糠の妻みたいなことを言ったりしてね。もちろん、現代では糟糠の夫も必要とされるのは言うまでもありませんが。

単純な労働力の増加と生活の負担の分散を目的とした結婚。さっぱりしてはいるけれど、どちらか一方に寄りかかって自分が楽しようとするよりはよっぽど健全な気がします。

幻想としての東京オリンピック

なんだか、書けば書くほどアンチタラレバの色合いが濃くなってきました。

でも、作中に等身大の自分が描かれていないにも関わらず、僕はタラレバ3人娘の迷走に共感する部分もなくはないのです。

よりラブコメチックに傾いてきた最新7巻のKEYくんの台詞にこんなのがあります。

僕はあてのない未来に身を委ねてるヤツらに腹が立つんですよ

タラレバ3人娘には、「自分は次の東京オリンピックまでに結婚して幸せになりたい」という強い願望が共通してあります。

さらに、倫子が仕事場として借りているヴィラ・オリンピアという名前のマンションは、前回の東京オリンピックの際に建てられた築50年以上の老朽化したマンションです。

僕は「オリンピックまでには〜していたい」という目標設定のあり方に、本作の批評性があるように思います。

そもそも、オリンピックを一人身ではなく結婚した誰かのそばで迎えることができれば自分は幸せだと考える根拠はどこにあるのでしょうか?

当たり前の話ですが、次のオリンピックはかつてのオリンピックとは全くの別物です。この日本にしたって、かつての高度経済成長の時期とは違って現在は多くの点で問題を抱えています。まるで老朽化したマンションのように。

それでも、オリンピックという仮のゴールを設定してハリボテの幸福を求めずにはいられない。そんなタラレバ3人娘の姿に、男女論や恋愛ゲームの先にある今の日本人そのものに対する問題提起があるように僕は思います。

それでは、また。

〈関連記事〉

平日休みに行った深大寺が、静かで緑が多くて心が癒された。


月に1〜2回の頻度で平日の休みがある。


平日の休みってどこに行くにしても人が少ないのでお得ですよ。


先日は、ふらっと調布市深大寺に行ってきました。たまにテレビで紹介されてたりしてるのを見て、ずっと気になってたんですよね。


交通アクセスとしては、電車で行く場合、京王線のつつじヶ丘もしくは調布駅からバスで15分〜20分です。自分はつつじヶ丘駅を利用しました。駅前のロータリーから「深大寺行き」のバスが出てるのですぐ分かると思います。


15分ほどバスに揺られた後、やって来ました深大寺


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平日だから人少なめです。
「え、ここ東京?」って感じるくらい和情緒に溢れた古風な街並み。高校の修学旅行で行った京都を彷彿とさせる。

商店街入ってすぐ左にあるのは「鬼太郎茶屋」。ドラマ『ゲゲゲの女房』など話題になりましたよね。

ゲゲゲの女房 完全版 DVD-BOX1

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しかし、前まで行ってみると「月曜定休」とのこと。何てこった。人が少ないのはいいけれど、これが平日休みのつらいところ。


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気をとり直して、先にお参りを済ませることに。


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正門をくぐって本堂へ。
「ブログ楽しく続けられますように」とお祈りしときました。笑


寺院の来歴を少し。
深大寺は、平安時代から関東随一の密教寺院として有名だったそうですが、もともとは水の神様である深沙大王をまつる寺として建てられたそうです。だから、同じ土地に神様と仏様両方いるんですね。特に深沙大王は縁結びの神様としても名高いので、カップルなんかは恋愛成就のために訪れてもいいかもしれません。


さて、お参りの後は周辺をぶらつこうと思い、近くの看板で位置情報を確認。


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いや、絵心あり過ぎ。


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よりポップな感じにするとこう。


深大寺と言えばそばが有名ですが、なんと図にある家みたいなマークは全部おそば屋さんです。激戦区ですね。普段富士そばとかしか食べないのでよりどりみどりはうれしい。


今回は、事前にネットで調べて行きたいと思っていた「八起」さんにお邪魔しました。


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店の外観。雰囲気あってテンション上がります。平日なのに店内盛況でした。


悩んだ末、スタンダードに天ぷらうどんを注文。


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こんなに濃いつゆのそばは初めて。江戸風っていうんでしょうか? そばってわりとあっさりとした味しかバリエーションがないと勝手に思ってたので、これは美味しかったです。また食べたい。


美味しいおそばを頂いて食欲が増進され、店の前で売ってた甘酒とみそ田楽を買って食べちゃいました。


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恥ずかしながら、田楽なる食べ物がこの世に存在するのを初めて知ったよ。


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早い話がコンニャクの串刺しにみそ塗ってあります。これが甘酒と合うんです。寒い日にはもってこいの組み合わせですね。


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近くの店先。
風鈴が売ってて音色が綺麗でした。
小さな女の子がおばあちゃんとお土産選びながらめっちゃはしゃいでました。気持ちわかる。眺めてるだけでテンション上がるよね。


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毎年3月に「だるま市」が開催されて多くの人が訪れるとのこと。今年ももうすぐですね。叶えたい夢がある方など、買いに来てはどうでしょう。


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さらに目的なく周辺をぶらぶら。
東京らしからぬ緑の多さと水のせせらぎの音に心身ともにリラックス。ろくでもないサラリーマン生活をしばし忘れる。


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意味もなく元祖っぽい感じ出てます。


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猫発見。
当てのない散歩と猫ってどうしてこんなに相性が良いのだろうか。


土地自体はそれほど広くはないので、小一時間あればぐるっと見て回れると思います。
鬼太郎茶屋」同様月曜は定休ですが、隣接する神代植物公園に寄るのもありですね。


せっかくの休日、都会の喧騒から離れて一息つきたいけど、旅行するほどの気力もお金もない方にはおすすめの癒しスポットです。


晩年深大寺を好んで訪れたという北原白秋の詩集も今度読んでみたい。

北原白秋詩集 (新潮文庫)

北原白秋詩集 (新潮文庫)

言葉の短剣。ラ・ロシュフコー公爵の黒光りした箴言から世間を学ぶ。

16世紀~18世紀のフランスにはモラリストと呼ばれる文学者が登場し、人間の生き方についての考察を自由な文章形式でまとめました。

そんなモラリストの中に、ラ・ロシュフコー公爵がいます。自分は彼の『箴言集』が好きです。なぜなら、彼の箴言はとても的を射ていて実用的だから。

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ラ・ロシュフコーは名門貴族の生まれで、戦争に行ったり社交界に出入りしたりと華麗なる人生を送った人です。

社会的にはいわゆる「勝ち組」であったはずのラ・ロシュフコーですが、本の中ではかなり屈折した人間観、人生観を表明しています。

恋と革命がリアルに存在した時代の貴族はある程度のしたたかさを備えていないと上流社会で生き残れなかったのかもしれません。

ラ・ロシュフコー箴言集』には、言葉の短剣とでも形容できそうな彼のブラックな箴言が載っています。

ラ・ロシュフコー箴言集 (岩波文庫 赤510-1)

ラ・ロシュフコー箴言集 (岩波文庫 赤510-1)


もしラ・ロシュフコーが現代に生きてたら、きっとTwitterをやって人気を集めていたと思います。それくらい彼の箴言は現在に相通じるものがある。


というわけで、いくつかご紹介。


われわれの美徳は、ほとんどの場合、偽装した悪徳に過ぎない。 p11


本書の冒頭にある代表的な箴言
これは、ラ・ロシュフコーの思想の根っこにある人間理解ですね。
虚飾の世界で生きた彼は社交界に出入りする人間たちのインチキが誰よりもよく見える立場にいました。だからこそ、読んだ人の心を揺さぶる鋭い言葉を紡ぎ出すことができたのでしょう。


人は決して自分で思うほど幸福でも不幸でもない。p24


人間の幸福度なんて主観でどうとでも変わることをわたしたちは知っています。
自分の脳内では絶対絶命だと感じることも他人からしたら些細なことであることもしばしば。逆もまたしかりです。ピンチの際には、切り口を変えて自分を客観的に見つめる習慣を持っていたい。


年寄りは、悪い手本を示すことができなくなった腹いせに、良い教訓を垂れたがる。p36


「昔は俺も色々やったよ」なんて飲み屋で喋ってる中年は、それにも飽きると今度は聖人君子のようなことを言い出したりします。
そのへんの年寄りのアドバイスなんて質の悪い自己啓発本以下と相場は決まっているのですから、自分と相手の時間を無駄にしないためにも適度な距離を置きましょう。


頭のいい馬鹿ほどはた迷惑な馬鹿はいない。 p128

ひとしきりしか歌われないはやり唄にそっくりの輩がいる。 p66


ネットには頭の良いバカというのが一定数生息していて、リアルで失った何かを懸命に取り戻そうとしています。

彼らのその努力が報われることは多々あります。しかし、どれも例外なく一瞬の出来事なので、まるで一発屋の歌手やお笑い芸人のようにいつの間にか話題に上ることもなくなるのです。


恋においては、ほとんど常に、騙しの手管のほうが警戒心より一枚上手である。 p100


SNSでは、男と女が飽きもせず不毛なバトルを繰り返しています。恋愛においては先に好きになった方が負けだなんて好戦的な意見もあったり。

正直、勝ち負けとかどうでもいいなと感じる人は多いと想像しますが、それでも戦争がなくならないように、人類が滅亡するまで男女の争いは続くでしょう。人が遺伝子の乗り物である限り。


世間の付き合いでは、われわれは長所よりも短所によって人に気に入られることが多い。p35


これは完璧主義な人ほど見逃しがちな真理です。ダメな自分でもそこに何かしら他人の心を打つものがあれば共感を呼び、短所は長所に変わります。特にネットではこの傾向が顕著です。自虐に走るのは精神衛生上良くありませんが、今の時代自分の欠点を正直に語ってみることは時には必要です。


われわれは、どちらかといえば、幸福になるためよりも幸福だと人に思わせるために、四苦八苦しているのである。 p185

われわれはあまりにも他人の目に自分を偽装することに慣れきって、ついには自分自身にも自分を偽装するに至るのである。p42


あなたは自分の欲しいものがちゃんと見えてますか? ネットの情報をシャワーのように浴び続けているといつの間にか他人の価値観に振り回され、自分の尺度が見失う事態に陥りがちです。

自分が本当にやりたいことはネットを切らないと分からない。
常に他人とつながりながらも、その言葉を肝に銘じておきましょう。


人生には時として、少々狂気にならなければ切り抜けられない事態が起こる。 p95


ここに来てちゃぶ台をひっくり返すようで恐縮ですが、人生教訓だけ頭に詰め込んでもダメです。
なぜなら、運命のいたずらによってしばしば理性の力では乗り越えることが不可能な事態に直面することもあり得るのです。

一般的に、狂気は悪いイメージで受け取られることが多いです。でも見方を変えれば、それは無意識から湧き出る強いセンスの発露であり、現在の自分以上の力で困難な状況を打破するための強壮剤になり得ます。

僕自身の経験上、しっかりと組み立てられた生活のタクティクスの中に、ほんの少しの狂気を持ち合わせている人はとても魅力的に映ります。


ラ・ロシュフコー箴言集』は、本物と偽物が錯綜する世の中で、自分の軸を作るための確かな「ものさし」になってくれる1冊です。
有名人のTwitterを覗くような感覚で気軽に手に取ってみてください。

コーチング・プログラムの極北、苫米地英人監修TPIE®︎の考え方が面白い


苫米地英人をご存知だろうか?

近年は、「読んだら人生が変わる」系の自己啓発本や、女性が聴くと胸が大きくなる着メロの開発など、どことなく胡散臭さが漂う人物としてちまたでは認識されている。
しかし、もともとはオウム真理教事件の際、元信者の脱洗脳を任されたことによって有名になった脳科学者である。


苫米地さんの日本人離れしたぶっとんだ経歴については話すと長くなるので省くとして、ここでは、氏が著書やセミナーを通して提唱しているコーチング・プログラムTPIE®︎の考え方がユニークで大変面白いので共有したい。

目次


TPIE®︎とは?


TPIE®︎(タイス・プリンシプル・イン・エクセレンス)とは、苫米地さんとアメリカ合衆国コーチングの元祖ルー・タイスが協力して開発した新しい能力開発プログラムのこと。

元来、アメリカの政府機関や大企業の多くで採用されていたルー・タイスのコーチング・プログラムに、苫米地さん始め、世界の科学者や心理学者が、最先端の機能脳科学認知科学的の研究成果を反映させた最高峰の次世代自己実現プログラムらしい。宣伝に力入ってるね。

コンフォート・ゾーンとホメオスタシス


TPIE®︎の中核となる概念にコンフォート・ゾーンがあります。

コンフォート・ゾーンとは、人にとってそこにいると心地が良い慣れ親しんだ領域を指します。

私たちは、それぞれが自分自身のコンフォート・ゾーンを持っており、そこから逸脱すると不安や緊張が生じ、潜在意識による自己抑制メカニズムが働きます。

たとえば、普段テストで50点しか取れない小学生がまぐれで100点を取った場合、その次のテストでは50点以下の点数を取りやすくなります。

他には、年収300万のサラリーマンは宝くじで1億円が当たっても、あっという間にほとんど使ってしまいます。

このように、人は自分が慣れ親しんだ範囲を逸脱する出来事に遭遇すると、無意識のうちに元の場所に戻ろうとします。

この働きのことを、ホメオスタシスと呼びます。

スコトーマとRAS


TPIE®︎の肝は、このコンフォート・ゾーンをそれまでの位置から自分の理想の地点へとズラしていく作業にあります。

コンフォート・ゾーンをズラすと何が起こるかというと、その人のスコトーマが外れます。

スコトーマとは、心理的盲点のことです。

脳にはRAS(網様体賦活系)と呼ばれるネットワークがあり、外界から入ってくる大量の情報のなかのどれを意識するかを決定する役割を担っています。

このRASが、その人のコンフォート・ゾーン外の情報を遮断した結果、スコトーマが生み出されます。

年収1億円の人には、年に1億稼ぐ方法が見えますが、年収300万円の人には、年に300万円稼ぐ方法しか見えません。

現状を打破するには、コンフォート・ゾーンをズラすことによってスコトーマを外す必要があるのです。

現状よりもずっと高いゴールを設定せよ


では、コンフォート・ゾーンをズラすにはどうすればいいのか。

答えは、現状よりもずっと高いゴールを設定することです。

それまでの自分の知識や経験をはるかに超えるコンフォート・ゾーンの外側にゴールを設定し、その臨場感を高めていけば、スコトーマが外れゴール達成に必要なものが次第に見えてきます。

臨場感を演出するのに役立つのが、アファメーションと呼ばれる言葉によるイメージ喚起法です。

ゴールを達成した、もしくはそこに向かっているコンフォート・ゾーン外にいる自分の姿を文章化し、1日に何度も読み上げることによって、現状の世界観ではなく、ゴールの世界観を無意識が選択するように仕向けます。結果、その無意識がゴール達成のための創造性とエネルギーを生み出してくれるのです。

で、気になる効力のほどは?


以上でTPIE®︎のざっくりした説明を終わります。

で、肝心の効力のほどですが、僕自身このメソッドを始めてまだ間もないので未知数です。

でも、これワクワクしませんか?
そして、やっぱり胡散臭い。笑


おまけ: 豊富秀吉の天下統一


歴史上の人物に目を向けると、豊富秀吉なんかは、無意識のうちに上記のような思考法を体得していた人だと思います。

だって、百姓から関白にまで登り詰めたわけですよ。すごいです。

天下統一という秀吉の大事業は、自分のなかで高いセルフイメージを持ち続けて何度もコンフォート・ゾーンを更新した結果なのでしょう。

そういった意味では、秀吉の晩年の朝鮮出兵なども、一般的には老いたゆえの悪手としてとられがちですけど、日本というコンフォート・ゾーンのさらに外に行こうとした点では、一貫性があるように思えます。

豊富秀吉は最初から最後まで豊富秀吉だった。
そんな理解もありかもしれません。


新史太閤記 (上巻) (新潮文庫)

新史太閤記 (上巻) (新潮文庫)

これまでに読んだ舞城王太郎作品を振り返る


舞城王太郎『ビッチマグネット』を読んだ。

ビッチマグネット (新潮文庫)

ビッチマグネット (新潮文庫)


芥川賞候補にもなった作品で、舞城さんの作品としては物語としてのハチャメチャ度の低い、わりと落ち着いた中編かなと感じた。

きっと、芥川賞欲しかったから行儀の良さを重視したのかなと思う。

本作についての芥川賞選評で、高樹のぶ子さんが、

裏の裏は表、という屈折した回路をとりながら、少女の成長が語られる。

と述べていた。

この感じ、よく分かる。

舞城作品の語り手って本当に饒舌だ。

「そこは読者の想像にゆだねちゃってもいいんでない?」

って部分まで先回りして説明するので、
正直「くどいわ」、「ちょっとはこっちに考えさせろ」と辟易することも少なくない。

「まるで壁のようだ」とも評されたその独自の文体にも、この特徴は大きく反映されているように思う。
あらゆる面でマキシマムな小説家ですよね。



正直、本作に関してはこれといって言うこともないのだが、読んでいて、舞城王太郎ってやっぱり自分にとって特別な小説家だよなぁと感じた。

よく「一人の小説家と同時代を生きる喜び」について語った文章を目にするけど、正にそんな感じ。全作品を一気に読むほどのめり込む、ということはないものの、気が向いた時に作品を手に取って読んできた。


あらためて既に読んだ氏の作品を数えたら、なんと10作品!
「こんな読んだっけ?」って感じです。


舞城作品のあらすじってあっちゅー間に忘れるので雑な感想にはなりますが、せっかくなので読んだ順に並べておきますね。

煙か土か食い物

煙か土か食い物 (講談社文庫)

煙か土か食い物 (講談社文庫)


一番はじめに読んだ著者のデビュー作。
これは3回くらい読んだので、あらすじちゃんと覚えてます。
サリンジャーのグラース家サーガを意識した家族の物語。

本格推理なのか、純文学なのか、はたまたそれ以外の何かなのか?

なんてお行儀の良い疑問は後から浮かんだもので、読んでいる間はその破格の面白さにグイグイ引っ張られて寝食を忘れました。

これから舞城作品を読もうとしてる知人には、このデビュー作から読むことをおすすめしています。

阿修羅ガール

阿修羅ガール (新潮文庫)

阿修羅ガール (新潮文庫)

書店の棚でシェア率の高い新潮文庫に早い段階から入っていたこともあって、デビュー作の『煙か土か食い物』よりも本作で舞城初体験となった読者が多いのでは?

しかーし、残念なことに本作は最初に読む舞城作品としては不適当だ。

良作ではあるんだけど、作家性のようなものがやや希薄なので、新しさに耐性のない読者には悪ふざけとしか映らず、「そこまでか?」という感想を口にする人がたくさんいたのを記憶する。

好き好き大好き超愛してる。

好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫)

好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫)


これも芥川賞候補作。
審査員の石原慎太郎から「タイトルを見ただけでうんざりした」と評されたものの、内容そのものはわりとおとなしめだったと思う。
愛の重みのようなものをSFチック(ラノベチック)に描いた連作です。

みんな元気。

みんな元気。 (新潮文庫)

みんな元気。 (新潮文庫)

個人的には、舞城作品の中ではこれがワースト1位。身を入れて読んでいないのでもはや全く内容を覚えていない。
阿修羅ガール』同様、本作から読みはじめるのはおすすめしません。

世界は密室でできている。

世界は密室でできている。 (講談社文庫)

世界は密室でできている。 (講談社文庫)

名探偵ルンババを主役にした青春ミステリー。読んでいる時は気づかなかったが、どこかで本作はサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』がモチーフになっていると知って、なるほどなーと思った。
その影響もあってか、数ある中でも最も瑞々しい読後感があります。

スクールアタック・シンドローム

熊の場所 (講談社文庫)

熊の場所 (講談社文庫)

スクールアタック・シンドローム (新潮文庫)

スクールアタック・シンドローム (新潮文庫)


短編集から入るのもおすすめです。
特に『スクールアタック・シンドローム』は、現代の「暴力」がテーマになっていて、「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」は、もっと批評が書かれていいんじゃないかなぁと。

じゃあ、お前が書けよって話ですね。
そのためには読み返さないと。

暗闇の中で子供

暗闇の中で子供 (講談社ノベルス)

暗闇の中で子供 (講談社ノベルス)

デビュー作に続く奈津川家サーガ第二弾。本作の語り手は三男の三郎。

物語として破綻しまくっているので文庫本にもなっていない問題作だが、おれは舞城さんの作品の中でこれがダントツで好き!

まだ読んでない人は絶対読むべきだと思うわ。

ある種の真実は、嘘でしか語れないのだ

という一節に出会った時、それまで小説を読んできた自分を肯定されたような気がして嬉しかった。

九十九十九

九十九十九 (講談社文庫)

九十九十九 (講談社文庫)


他の小説家や評論家からは高く評価されているメタ小説。

やりたいことは説明されれば大体分かるんだけど、作者が本作を書く原動力の在所がおれにはイマイチよく分からなくて、終始言語ゲームに見えてしまった。

読む人によって好き嫌いが分かれる作品かなー。

ディスコ探偵水曜日

ディスコ探偵水曜日〈上〉 (新潮文庫)

ディスコ探偵水曜日〈上〉 (新潮文庫)

現時点での舞城さんの代表作にしてゼロ年代最強のバケモノ小説。

文庫本で上中下巻のある長編だが案の定ストーリーはグッチャグチャ。
中巻読んでる途中で「何と闘ってるか分からない」と思わず呟いてしまったほど。

けど、われわれの世代が共有している「ぼんやりとした壮絶」の感覚をこの小説がある程度まで背負っているのは確かだと思う。

「世界は密室でできている」というプレート(看板だっけ?)を掲げて世界に抵抗するディスコの姿がめっちゃエモーショナルで印象的。


好きな作品以外は内容忘却の嵐で恥ずかしい限りです。

が、各作品のおすすめ度に関してはそこそこ自信ありなので、これから舞城作品を読もうかなという方いたら参考にしてみてくださいな〜。