【感想】劇場版『名探偵コナン から紅の恋歌』
劇場版『名探偵コナン から紅の恋歌』を観てきた。
コナン映画は8割方観てきたのだけど、映画館に足を運んだのは今回が初めて。
コナンがスケボーに乗って無茶苦茶するお約束のアクション・シーンは、映画館の大音量で観ると迫力がある。
過去作と比べてどうか。
コナン映画を少なくない数観てきた人なら分かると思うのだが、正直、作品によってアタリハズレはある。
1年に1回新作が公開になるから、「今年の出来はどうかな?」というボジョレーヌーヴォーに近い認識がある。
映画館に行くかどうかで迷ってる方いると思うので僕個人の実感を書いておくと、本作はアタリです。
コナン映画は、シリーズに馴染みのない観客のためにいつも作品の冒頭にコナン(新一)による簡単なストーリーの概要と人物紹介が入るのだが、経験上、ここでの演出がカッコ悪いと作品そのものも不発に終わる傾向があるように思う。台詞自体がいつも大体同じなだけに、そのぶん作り手のセンスが如実に表れる部分なのかもしれない。
ミステリーとラブコメの巧みな並走
『コナン』が、本格ミステリー漫画であると同時にラブコメ漫画として需要されているのは周知の通りだ。本作においてもそのスタンスは変わらない。
2時間という枠組みの中で、推理と恋愛のプロットを隙なく展開し、なおかつその二つの要素を作品のモチーフである「百人一首」というアイテムで結ぶという脚本の妙にプロの力量を見た気がした。
後になってから知ったのだけど、本作の脚本は大倉崇裕さんという推理作家が担当している。
脚本を推理作家が関わるのは、第6作の『ベイカー街の亡霊』の野沢尚氏以来とのこと。
『ベイカー街の亡霊』はシリーズの中でも評価の高い作品である。
ミステリーとラブコメの融合という観点から見た場合、本作の脚本のレベルは申し分ないし、百人一首や競技かるたのような古き良き日本の美しさも同時に味わえるので観る側の満足度は高いだろう。
難点があるとすれば……
ただ、本作は主人公であるコナンよりも大阪の高校生探偵、服部平次と幼馴染である遠山和葉にスポットが当たっているので、いつものようにコナン(新一)と蘭のピュアなやり取りを期待するとガッカリするかもしれない。
まとめ
- 映画館だとアクション・シーンの迫力がすごい。
- 脚本、演出共にクオリティー高いので観るかどうか迷ってるなら観るべき。
- 服部、和葉をはじめとした大阪勢が好きな人はより楽しめる。
次回作もぜひ観に行きたい。
推理×恋愛の名作といえば『赤毛のレドメイン家』。
あの江戸川乱歩が高く評価したことで有名。↓
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『まおゆう』の感想/全てのWEB小説が異世界に逃げてるわけじゃない。
だいぶ今更だけど、橙乃ままれ『まおゆう』を読んだ。
わりと長めの作品なので、とりあえず1巻のみ。
まおゆう魔王勇者 (1) 「この我のものとなれ、勇者よ」「断る!」
- 作者: 橙乃ままれ,toi8
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期待していた以上に面白くてびっくりした。
勇者と魔王が手を結んで世界から戦争を失くすという物語の骨格は、誰もが一度は思い浮かべる厨二病設定だ。しかし、大抵の人間はアイディア止まりで、そこからどのようにストーリーを展開させればいいのか見当がつかない。
橙乃ままれは、歴史、経済、軍事に関する実用的な知識をドラクエ的なファンタジー世界の中に導入することで、大人が読んで満足できる機能的な味わいを作品に与えることに成功している。
本作が画期的だと思う理由は2つある。
本作が普通の小説とは形式の異なる「戯曲小説」であるというのがまず1点。
地の文がなく登場人物の会話のみでの構成には賛否両論あると思うが、様々な情報が溢れ、その峻別に多大な労力を費やすことを余儀なくされるインターネット時代の読者を視野に入れた場合、本書の形式は、時代や読者のいる環境に合わせた小説としての健全な変化と言ってもいいのではないかと自分は思う。
2点目は、本作がドラクエ的な異世界を舞台にしているにも関わらず、白黒で割り切れない複雑化した世界に対して理念の戦争を仕掛け、より良き着地点を模索するという姿勢において読者のいる現実と陸続きになっているということだ。
昨今の異世界を舞台にしたライトノベルは昔のそれと異なり、あまりにも読者に都合のいいように話が進行するため「現実からの逃亡」と見なされることが多い。
事実、辛い現実を忘れるための慰めとして書かれた作品がWEB小説には多い。
個人的には好きではないけれど、『WEB小説の衝撃』を読むとそういった作品の傾向が必ずしも悪いことではないと分かるので、ここでは敢えてその是非は問わない。
『まおゆう』を純粋に良いなと感じるのは、ドラクエ的、RPG的な異世界の設定を、現実からの逃避ではなく、現実を理解し乗り越えるためのわれわれネット世代の共通言語として効果的に使っていることだ。
今の若い世代(と言っても30代のおっさんまで含まれるが)には、戦中派や団塊の世代にあったような古典的教養が欠如している。そのような知的基盤の薄弱は、物事を語る上で大きなハンデとなり最大の弱点になっている。
もちろん、反知性主義に抗うことは重要だ。だが、それと並行して自分たちの世代にしかない言語を最大限に活用し、欠落を埋める努力をすることもまた大事なのではないかと思う。
そういった意味で、『まおゆう』やその他の異世界を舞台にした作品にあるようなドラクエ的な世界観は、いささか危なっかしい面もあるけれど、かつての神話やフォークロアが当時の民衆にもたらしたのと類似の役割を、今の読者に対して果たすかもしれない。
少なくとも、『まおゆう』は異世界に逃げていない。
これは課題図書かも。↓
文学としてのドラゴンクエスト 日本とドラクエの30年史 (コア新書)
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映画『ジェーン』/カウガール姿のナタリー・ポートマンに女優としての円熟を見る。
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ここ最近、映画館で見逃した作品を遅ればせながら数作続けて鑑賞した。『ジェーン』もその中の一つ。
それにしても、映画作品のDVD/ブルーレイ化までのスパンが短過ぎる。
あまり映画館に足を運ぶことのない自分としては有り難い話だけど、こうなってくると映画を映画館で公開することの意味がない気がしなくもない。
自分にとって、「ナタリー・ポートマン主演の西部劇」というだけで本作を手に取る理由は充分だった。
『レオン』から20年以上の年月が経過し、もはや誰もが認める大女優となったナタリーだけど、西部劇に出演するのはこれまで見たことがなかっただけに、カウガール姿の彼女は新鮮な味わいがある。
自分は西部劇というジャンルにそれほど精通しているわけではないので偉そうなことは言えないのだけれど、正直、本作が長い西部劇の歴史の中で大きな足跡を残すほどの優れた作品であるとは思えなかった。
ナタリー扮する主人公ジェーン、ジェーンの昔の恋人で南北戦争の英雄であるダン(ジョエル・エドガートン)、ジェーンの幸せをおびやかす悪名高きビショップ(ユアン・マクレガー)の三つ巴の関係性がストーリーの柱なのだが、それぞれの性格や秘められた過去の描き方が最後まで紋切り型を脱することができていない。
人物の過去について回想シーンを多用するのは、確かにわかりやすくはあるけれど、それだけ観ている側にチープな印象を与えかねない。
クリント・イーストウッド監督の『許されざる者』などは、主人公の現在と過去に決定的な乖離があるのだけど、監督は主人公の封印された過去を、あくまでも「過去の刻印」として、現在の主人公の表情や立ち居振る舞いから間接的に伝える演出をしていたように思う。
本作においても、個々の役者の技量は申し分ないだけに、監督のさじ加減一つでどうにでもなったのではないか。もっと「氷山の理論」を使ってほしかった。
しかし、こういう弱い者(本作においては女性のジェーン)が武器を取り、自身の幸福をおびやかす巨悪と真っ向から対決する決意をするという単純明快な図式を、今のアメリカ国民が求めているという事実も一方ではまたあるのではないか。
本作の原題が「Jane Got a Gun」というシンプルかつ一抹の躊躇いのないものであるというのも、国際社会の中で失われた「グレート・アメリカ」を取り戻したいという願望の無意識の現れなのかもしれない。
個人的にちょっと心配なのは、ナタリー自身が中心となって本作の製作に関わっているということ。
才女として知られる彼女が先頭に立って本作のような少しフェミニズムの臭いのする映画を撮ってしまうというのは気がかり。
アンジェリーナ・ジョリーのような人としては立派だけど、女優としては面白みに欠ける方向に今後の彼女が舵を切らないことを一ファンとして見守りたいと思う。
女性が主人公の西部劇の個人ベスト。シャロン・ストーンの美しさと、風貌はだらしないけど実は超早撃ちのラッセル・クロウがカッコ良すぎる。↓
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わたしたちの住む街には得体の知れない何かが潜んでいる/乙一『GOTH』
エッジの効いた短編小説が読みたいなぁと思った。
手に取ったのは、乙一の『GOTH』。
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1冊に3話ずつで全6編。
何だか懐かしい感じがしたが、最初の「暗黒系」以外はこれが初読。
小説執筆の第一歩として、乙一の作品群を参考にするワナビーは多いのではないかと思う。
実際、乙一は上記「暗黒系」の執筆プロセスを小説ハウツー本の中で公開している。
その影響もあってか、自分のように「暗黒系」だけ読んで済ませてしまう人も少なからずいるのではと想像します。
もったいない。
他の作品も読んで損はないです。
「夜の章」と「僕の章」全6作品を通して読んで、「これ、青春小説だな」って思った。
本作の語り手である「僕」は、正常な感覚を持った人間ではなく、どちらかというと彼が接触する猟奇殺人犯たちに近い存在として描かれている。ヒロイン役である森野夜も「僕」ほどではないにせよ、人間の暗黒面を好む傾向がある。本来なら、彼らのようなギークに普通の読者が感情移入することは困難だ。
にも関わらず、実際に読んでみると抵抗なく「僕」と同じ視野を持てるので不思議に感じるだろう。
なぜそのようなことが起こるのかを考えるに、おそらく、『GOTH』には自分たちの住む街には得体の知れない何かが潜んでいるかもしれない、という青春期の危機感のようなものが作品の背後にあって、それは読者にとっても馴染みのある感覚だったからではないか。
自分は、本作を読んでいて荒木飛呂彦の『ジョジョの奇妙な冒険 第4部』を思い出した。
杜王町に潜むシリアルキラー吉良吉影と『GOTH』に登場する殺人鬼たちが重なる。現に「リフトカット事件」には、人間の手の収集を好む犯人が登場する。
作者は、後年ジョジョのノベライズでも第4部を選んでいる。このことから見ても、少なからぬ影響を受けていたことは間違いないだろうと思う。
The Book―jojo’s bizarre adventure 4th another day (集英社文庫)
- 作者: 乙一,荒木飛呂彦
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乙一作品は叙述トリックにこだわり過ぎて小説として軽いと批判されがちだけど、今回読んでみて、ラノベっぽい類型化された人物設計とは裏腹に、“青春と自傷”とでも呼べそうなあの頃の不穏な感情が呼び起こされました。
それでは。
男らしさ、女らしさの根拠はどこにあるのか/映画『大奥〈男女逆転〉』
『大奥〈男女逆転〉』という映画を観た。
興味深い男女逆転劇。
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よしながふみ原作の人気コミックを嵐の二宮和也、柴咲コウ主演で映画化した異色時代劇。謎の疫病によって男の人口が減少した架空の江戸時代を舞台に、女将軍の寵愛を求めて美しい男たちが謀略を繰り広げる。
内容(「キネマ旬報社」データベースより)
謎の疫病による男性人口の減少に伴い社会的な男女の地位が逆転した江戸時代。恐るべき設定である。
「女性が上がる必要はない。男が下がればそれで済む」
なんてカッコつけて、自分はTwitterで呟いたことがある。
が、実際に「じゃあ下がってみろ」となった場合このような世界で生きていくことになるわけだ。
ごめん、とても無理だ。
遊郭で売られている美少年を女たちが和気あいあいと談笑しながら値踏みするシーンなどは背筋がゾッとした。女性はこのような現実を今も生きているわけで……分かったようなことを言って実は何も分かっていなかった。自分が思っているほど今の世の中は男女平等ではない。
この作品が面白いのは、一口に男女逆転と言っても全てにおいてバトンタッチしてしまうわけではないという点。
社会的な地位は逆転しても、結局男と女が互いの内面の価値を量り合えるのは、男女本来の「男らしさ」、「女らしさ」が噴出した時なんだよね。
水野が大奥の中で破竹の勢いで出世できたのは、結局彼が男らしかったから。吉宗が規則に逆らって水野に自分の下の名前(水野の幼馴染の名)を呼ぶことを許したのは、彼女が情に流されやすい女だったから。
だとするなら、男が男であること、女が女であることって、車を持ってるとか綺麗に着飾ってるなんていう外部的なものとは全く別の次元に根拠を置いているのではなかろうか。
現代は男と女で家事を分担するのも当たり前になってきてけれど、まだ過去の常識に囚われて一方の権利だけ声高に主張する人間も多い。彼らが恐れてるのは、男が男でなくなること、女が女でなくなること、だ。
しかし、果たして性というものは男が洗濯をしたり女がフルタイムで働いたくらいで簡単に揺らぐものなのだろうか。その点を、現代人はまだ考える余地があると思う。
最終的な水野の処分など安っぽいヒューマニズムに辟易させられたけど、ジャニーズ主演のエンタメだからしょうがない。なにはともあれ、考えるきっかけを与えてくれる内容でした。
- 作者: よしながふみ
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恋愛は良いとこ取りが不可能/映画『ブルーバレンタイン』
『ブルーバレンタイン』という映画を観た。
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ひと組のカップルの出会いと別れを通して、愛が生まれる瞬間と終焉を痛切に描いたラブロマンス。ディーンとシンディの夫婦は結婚7年目を迎え、ひとり娘を授かるも感情の溝は深まるばかり。しかし出会った頃のふたりは若く、夢に満ちていた。
(「キネマ旬報社」データベースより)
あらかじめ聞いてはいたものの、観ててつらい。とても残酷だ。恋愛の甘さと苦さ両方をもった作品ですね。
1組の男女が出会ってから夫婦になり最終的に破局するまでの物語。過去と現在の二人の姿を対比的に見せる手法が効果的で、恋愛の喜びと脆さを同時に味わうことができる。好きだったのに何でこんな出来栄えになっちゃうの? 世の中何か間違ってる。
二村ヒトシの対談集『淑女のはらわた』に、「恋は衝動的なもので愛は理性的なもの」という名言があります。この映画は正に二つの概念の違いを明瞭に描き分けていると思う。
「恋愛」という単語の真ん中に「/」を入れて「恋」と「愛」に分けて考えるのは時に大切なんですね。それぞれのフェイズで全く取るべき手段が異なるから。
ただ、恋と愛の違いとか口で言うのは簡単だけど実際やってみるとちっともうまくいかないもんです。男と女のことはアダムとイブの時代から決して良いとこどりができないようになっているのかもしれない。
普通の恋愛映画と違って作り手のドライな視線を感じることのできる一作でした。
ではでは。
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京都を舞台にしたポップな哲学散歩小説/原田まりる『ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。』
前に本の感想を書かせてもらった哲学ナビゲーターの原田まりるさんが、小説を出したということで買って読んでみました。
ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。
- 作者: 原田まりる
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
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物語プラスαの乳酸菌小説
まず、タイトルといい、版元といい、表紙のイラストといい、岩崎夏海さんの「もしドラ」こと『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』を彷彿とさせる。
出版不況の昨今、過去の成功例にならってある程度の売り上げを確保することは大事ですよね。読んで面白ければ、タイトルとか売り出し戦略がベストセラーのそれと似ていても文句ないです。
自分は本書のように、小説を読みながら何らかの専門知識を獲得できる物語プラスαの作品を、“乳酸菌小説”と勝手に呼んでいます。
なぜ乳酸菌かというと、ちょっと前にロッテが「乳酸菌ショコラ」という商品を売り出しましたよね。チョコレートの中に乳酸菌が入ってるアレです。
チョコと言えば、甘くておいしくて食べ過ぎると虫歯になる嗜好品の王様です。それに乳酸菌が入るって、すごくエポックメイキングな発明だと僕は思うんです。甘いだけで皆が満足していたチョコに乳酸菌という有用性を付加したわけですから。余計なお世話、もとい消費の革命と言えます。
これと同じ流れが「もしドラ」以降、物語にも生じており、年々刊行点数が増えてる印象がある。
前はこの現象をかなり悲観的に眺めていたのですが、本書含めその手の作品をいくつか読んでみたら意外に楽しく読めた。なんで現在は中立です。
人類の長い歴史からすれば、小説というのはまだ生まれて間もない表現形式だから、今後も柔軟に変化していくのかもしれませんね。
難しい思想を日常にインストール
さて、本書はタイトルだけ見ると1冊まるっとニーチェな感じですが、実際には他の哲学者もわんさか出てきます。あくまでも、現代日本人に転生(憑依?)した形として。
こんな哲学者が登場します。
・ニーチェ
・キルケゴール
・ワーグナー(哲学者ではないがニーチェの因縁の間柄として)
・ショーペンハウアー
・サルトル
・ハイデガー
・ヤスパース
哲学に興味があるなら知ってて当たり前なメンツですが、いざそれぞれの思想をサクッと誰が聞いても分かるように説明してよって言われても、それはなかなか難しい。
著者は17歳女子高生のイノセントな視線を通して、哲学者たちの難解な思想を一般人の日常レベルに落とし込むことに成功しています。
ニーチェの「ルサンチマン」を、ティーエムレボリューションの歌詞で説明した部分など、的を射た喩えであると同時に遊び心に溢れていて、他の哲学入門書にないとっつきやすさがある。
哲学は、頭が重くなるものではなくて、心が軽くなるものなのだろうか?
そんなことを考えながら、私は今日起こった出来事を、ゆっくりと思い出しながらバス停へと歩く。
p40より引用
哲学の血肉化
サルトルの実存主義のくだりで、哲学は本来人生の意味を考える学問ではなく、さまざまなことに対して疑問を持つことだと念を押しています。
しかし、哲学者それぞれの思想の案内という形を取りながらも、本書の根底にあるのは、人生いかに生きるべきか? という問いに対する現時点での原田さんの応答である気がします。
前作にもあったように、自分自身の人生の困難を哲学の思想を血肉化することによって乗り越えてきた原田さんの経験が、物語の中で描かれる主人公アリサの学びと成長の過程を血の通ったものにしている。
特にハイデガーの章は、哲学者の深遠な思想を知るのにユーモアのある喩え話がとても分かりやすく、長年読むのを保留していた『存在と時間』読みたくなりました。
本書を読んでから、興味ある哲学者の著作などに挑戦すると理解が深まっていいかも。
哲学入門書としてはもちろん、親元を離れて京都で暮らす女子高生の青春がちゃんと描かれている点で、小説としても面白かったです。
ではでは。