そのイヤホンを外させたい

そのイヤホンを外させたい

文芸好き。ラノベやWEB発の作品まで視野に入れつつ、文学または物語の趨勢について考えたことを書いていきます。

雨と緑の織りなす束の間の逢瀬ーアニメーション映画『言の葉の庭』

 

 

新海誠監督によるアニメーション映画『言の葉の庭』を観た。

 

 

降り注ぐ雨のリズムと作品の舞台となっている新宿御苑の豊潤な緑が、そこで出会う年の離れた男女の情感を美しく描き出していた。

 


『言の葉の庭』 予告篇 "The Garden of Words" Trailer - YouTube

 

 

朝目覚めると、窓の外は雨

 

気象実験などいくつかの例外はあるかもしれないけれど、基本的にぼくら人間は今だに自分たちの力で天候を操ることができないでいる。ハイテク時代に生きてるくせに、ぼくらは「明日の運動会、かったるいから雨で中止にならないかなぁ」とか、「台風が迫ってるって天気予報で言ってるけど、来週の修学旅行大丈夫かなぁ。うまくそれてくれるといいけど」なんて相も変わらずその日の天気に一喜一憂するし、雨天時に外出する時は、発明された当初からほとんど機能的な進化をしていない傘を差してうつむき加減に街を歩く。iPhoneはもう6が発売されるっていうのにね。

 

 

鳴神の すこし響みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ

 

 

新宿御苑の東屋で初めて出会った折、雪野が孝雄に言い残す歌だ。万葉集。相聞歌。「雷がちょっとだけ鳴って、雨が降ったら、あなたはここに留まってくれるでしょうか? 」。

 

国語教師である雪野の少しいじわるな謎掛けに対して、作品の後半で孝雄が返す歌はこうだ。

 

 

鳴神の すこし響みて 降らずとも 我は留まらん 妹し留めば

 

 

「君が望むなら、雨なんか降らなくてもぼくはここにいるよ」

 

 

本作における「雨」は、万葉集の時代から綿々と受け継がれてきた雨降りの日にまつわる男女の機微を包含している点で、作品を重層的で深みのあるものにしている。朝、起き抜けに窓の外を眺めて「雨だ」とひとりごちる。その何ということもない呟きに多くの言葉と感情、人間の営みが詰まっている。

 

 

風景に癒されるということ

 

昔、学校の現代文の時間に、「風景描写には登場人物の心情が反映されている」と教わった。

 

本作においても、多くの部分でそれは当てはまる。マンションの階段で、孝雄が雪野に自分の思いを洗いざらいぶちまけるシーンは、年上の女性に対する彼の嫉妬と憧れの入り混じった告白と、彼の切実な言葉に呼応するようにして閉ざしていた心が開いていく彼女の姿を、打ちつける雨がより劇的なものにしている。サマセット・モームの短編『雨』と似た印象を受けた。

 

 

しかし本作の中の風景は、登場人物の心理を写しとること以上に、ただ何でもない季節の変遷として都会で生きる彼らの孤独を受け止め、ほんの少しだけ癒す役割を担っているようにぼくには感じられた。

 

周知のように、新海作品と風景は切っても切れない関係にある。デビュー作『ほしのこえ』や代表作『秒速5センチメートル』においても、綿密なロケハンを経て描かれたリアルで既視感のある日常の光景が、観ているぼくたちのセンチメンタルな感慨を否応なく喚起する。

 

 

本作の風景描写は、梅雨の雨と都会の中の緑に重点を置いている。しかし、それ以外にもう一つ象徴的な風景がある。それは、孝雄がことあるごとに眺める代々木の電波塔だ。雨や植物の緑とは違ったあくまでも人工物である塔が、孝雄の心を強く惹きつけているように見えるのはなぜだろうか?

 

 

おそらく、それは孝雄自身が靴職人になりたいという特殊な夢を抱いていることに関係がある。孝雄は妙に大人びたところがあって周囲の同級生とは全く違う世界が見えている。叶えるのに困難を伴う大きな夢とちっぽけな自分の日常を比べて「自分はこんなところにいる場合じゃない」と焦燥感を抱いている彼は、雪野が自分の通う高校の教師であることもいっこうに気づかない。

 

 

空に向かって真っ直ぐにそびえ立つ巨大な建築物と、都会の雑踏の中で夢と現実の距離に思い悩む青年の姿は対照的だ。だが、そのギャップが人間の偉大さと非力さを物語っているように思えて非常に効果的な演出だなと感じた。

 

 

 

ゆきずりの優しさに触れる

 

「わたし、うまく歩けなくなっちゃったの」

 

雪野は孝雄に人生の思わぬ段階で躓いてしまった自分の心の内を伝える。孝雄は、彼女の足を参考にしつつ、自分のオリジナルの靴を作成する作業を通じて比喩的に彼女の歩行を支えることになる。雨の日の御苑は、二人にとって回復と成長の場所なのだ。

 

 

ぼくがおもしろいと思うのは、それまで全く接点のなかった他人同士が、梅雨の期間という時間の制約の中で、これほどまでに互いにとってかけがえのない存在になれたということ。

 

「まるで世界の秘密そのものみたいに彼女は見える」

 

「晴れの日のここ(御苑)は、何だか別の場所みたい」

 

というそれぞれのモノローグは、雨の日だけの逢瀬が、雪野と孝雄にとって神聖な時間であることを示している。彼らは非日常的な空間の中で、現実社会で再び歩き出すための練習をしているのだ。

 

 

ゆきずりの優しさにふいに触れたような他者との出会いが、これからの長い人生の内のどこかで待ち受けているかもしれないと思うと、それだけでちょっと救われるような気持ちになる。