そのイヤホンを外させたい

そのイヤホンを外させたい

文芸好き。ラノベやWEB発の作品まで視野に入れつつ、文学または物語の趨勢について考えたことを書いていきます。

ウルトラスローモーな人生戦略


もし、「あなたの愛読書・座右の書はなんですか?」と訊かれたら、「大西巨人の『神聖喜劇』(光文社文庫全5巻)です」と答える。

大西さんはこの長編小説を完成させるのに25年かけた。25年って……。赤ん坊が成人して会社で働いたり結婚したりできるよ。その膨大な年月を、彼はひとつの作品を書くことだけに費やしたのだ。途中で死ぬかもしれないのに…。凄すぎる。


自他共に認める「ウルトラスローモー」(超遅筆作家)と本人は自分のことを言っていたらしい。


この話を聞いてあなたはどう感じるだろうか?彼をバカだと思うだろうか?そうかもしれない。労力に見合わず、『神聖喜劇』の売り上げはあまり良くないだろうし、現に長らくの間絶版状態だった。一年の内に何度も新作を発表する東野圭吾宮部みゆきといった人気作家とは、印税収入や読者数の面で大きな開きがある。作家業として社会的にどちらが成功しているかと訊かれたら、答えは明白である。確かに『神聖喜劇』は万人受けする小説ではない。


しかし、それは決して悪いことではないとぼくは思う。なぜなら、「この小説は俺だけのために書かれている」と読者に感じさせるものがこの作品にはあるからだ。そしてその個人的な感慨は閉鎖的なものではなく、その個人性そのものが作品の普遍性に直結するような広がりがある。それは読者サービスの範疇を超えた、作り手と受け手の純粋な交わりである。一人の作家の愚直さが、通俗的な成功の価値観を打ち破ることだってあるのだ。



話は変わる。ぼくは6畳ワンルームのアパートに住んでいるのだけど、部屋の隅の窓際に近くの家具屋で買ってきた折りたたみ式の簡易テーブルとイスを設置している。


確か村上春樹のエッセイだったと思うが、なにか文章を書きたいなら、まず自分専用の机を設定して、その上には余計な物は一切置かず、毎日一時間くらいそこに座ることを実践するといい、と言っていて、さらに漫画原作者小池一夫も著書の中で同様のことを書いていた。若き日の高橋留美子も小池の教えを信用して毎日頑張って座ったらしい。単純なぼくなんかは、これは真理なんだなとノコノコと買いに行ったのだった。


書いていて思い出した。レイモンド・チャンドラーがその方法を実践していたのだ。村上春樹はどこかでそれを読んで「チャンドラー方式」と名づけ、自分も実践していたのだ。そうだった。


期待して買ったはいいものの、ぼくはこれまで全くと言っていいほどその席に座ることをしなかった。荷物も置けないし、ただスペースを占領しているだけ。はっきり言って邪魔でしかない。家に遊びに来た女の子も「あのテーブル邪魔だね」と言っていた。


しかし、ぼくは頑固にその撤去を拒み続けてきた。なぜか? あのテーブルをなくしてしまったら、たぶん俺は一生物書きにはなれないだろう、という強迫観念がぼくの中にできあがっていたからだ。使ってないのだからあってもなくても実際には変わらないはずだが、ただその存在だけが大きくなってしまって、そこだけは死守しなければならない夢の最終防衛拠点みたいになっていた。


今までぼくが自分の定められた机に座り続けることができなかったのは、くだらないプライドが邪魔をしていたんだと思う。いざ座ってみてろくな物が書けなかったらどうしようという恐怖と恥ずかしさが、自分の行動に待ったをかけていた。


やりたいことができていない、わからない、という焦りと不安を解消するために、正社員になってみたり、ゲンロンカフェに行ってみたり、ナンパをして女遊びをしてみたりした。しかし、どれも一時の満足をもたらしてくれるだけで根本的な問題を解決してはくれなかった。


今思えば、本当にやりたかったことは自分が一番わかっていたのだ。はじめから明白だったのだ。ただ、現実を見つめることが怖くてそれとの対決をずっと避けてきただけなのだ。小説を書くからにはなにか新人賞をとらないといけないとか、他人から褒められたいとか、見返してやろう、とかいった自尊心を満足させることばかりを考えていた。


カスである。昔ユーキャンのCMで「俺、本気出したらすごいんだぜ」と言うバイトの先輩が出てきたが、あれと同じだ。努力もしないで大きな見返りを期待する底辺のゴミ。わかった振りをしていた。くだらないプライドは捨てる捨てると繰り返しながら、ずっと捨て切れずに生きてきた。


でも、今ぼくは無職で金もなくて他人に誇れる能力はなにひとつ持っていない。カスである。わかってしまった。もう言い訳はできないだろう。


近頃は、毎日ちょっとの間例の机についている。目の前は安アパートの白い壁だ。椅子に座ったからといってなにが変わるというわけではないが、それをしなければ、自分はこの先一生与えられた環境に文句を言いながら生きていくだろうと思う。だから座る。


なにか文章を書いてそれで食っていこうとか、そういったことも今の段階ではあまり考えていない。というかそんなこと無理だと思う。とりあえずは、自分の生活や世の中の動きと関係のないところで自分の本当にやりたいことを一生懸命やってみたいと思う。そんな単純なことを今まで怠ってきたことが一番の問題なんだから。それこそ自分も大西さんのようなウルトラスローモーな姿勢で運命と格闘していきたい。


ぼくは書くということに関してはずっとサボってきたし、経験値が足りていないと自分で思う。書く技術が拙いから、読書でインプットしてきたものをうまくアウトプットできないでいる状態なのかもしれない。当面の間は、読むこと→書くことにシフトすることを目標にしようと思っている。それ以外にも芸術や世の中の出来事、あとはナンパを含む性愛に関する事柄についてもこれまで通り書いていきたい。


人生戦略というタイトルをつけたくせに、戦略という戦略をほとんど書けなくて申し訳ない。


今後ともよろしく。
またね。