そのイヤホンを外させたい

そのイヤホンを外させたい

文芸好き。ラノベやWEB発の作品まで視野に入れつつ、文学または物語の趨勢について考えたことを書いていきます。

英雄には女性の育て親が必要


歴史上でなにか偉大な功績を残す人物には、幼児期から青春期にかけて常にそばにいてなにかと世話を焼いてくれるお姉ちゃん的役割の女性がいるように思う。男性にとってそういった存在がいるかどうかはとても重要なことであり、将来的に自分の属する分野で抜きん出て誰にも破ることのできない壁をぶち破れるかどうかに大きく影響するのではないか。これは完全にぼくの主観だが、小さい時に男の子的サークルの中で悪さしてた奴よりも、女の子的なサークルの中で泣いてる奴の方が、大人になってからずっと高い地点に到達することができるように思う。女属性の力と勝手に呼んでいる。

確か中上健次もどこかのインタビューで似たような話をしていた記憶がある。三島由紀夫は女属性だった、それがあの人の良さだった、みたいに。個人的には坂本龍馬なんかもそうだったんじゃないかなと思う。女属性の奴は男性的なマッチョイズムを乗り越える力がある。

これはどこからきた法則なのかというと、やっぱり神話とかじゃないかなと思った。例えば、最近、ラーメン屋で藤原カムイの『ロトの紋章』を読んでいたら、主人公のアルスは生まれてすぐに国を追われ、10歳くらいになるまで俗世から隔絶した仙人の郷で大事に育成される。彼には、ルナフレアというお姉さん的役割の女の子がずっとついていてその成長を見守っている。やがて、アルスが冒険の旅に出ると、ルナフレアはかなり早い段階で(確か2、3巻くらい)で敵に襲われあっけなく命を落とす。なんだか物語上の役割を終えたような感じである。

周知のように、『ロトの紋章』の元ネタはドラゴンクエストである。ドラゴンクエストRPGで、RPGの元ネタは『指輪物語』であり、『指輪物語』は、大塚英志がよく著書で引き合いに出すウラジーミル・プロップなんかの魔法昔話の形態学に端を発する。要するに、ここでも大昔から人々の間に語り継がれてきた英雄神話の構造が採用されているわけだ。『ロトの紋章』は、典型的な貴種流離譚である。

我が国の文学の世界で神話の構造をうまく利用したのは、上にも出てきた中上健次であり、彼が影響を受けたフォークナーや大江健三郎ガルシア・マルケスなんかも神話的手法を自身の作品に取り入れた。近年では、ぼくは未読だが阿部和重が『シンセミア』で似たようなことをやったらしい。

ぼくは正直、神話的手法がそこまで良いものだとは思っていない。だから、阿部さんの『シンセミア』を読んだとしてもそれほど驚かないと思う。神話的な力強い物語構造も良いとは思うけれど、やはり大西巨人目取真俊のような我々が今生きる世界の諸問題と作家が不器用なりに格闘した成果としての作品の方にぼくは魅力を感じる。好き嫌いの問題でしかないけれど。

しかし、その全ては採用せずとも、英雄のそばには彼を温かく見守る子守役の女性がいるという構造単体はとても魅力的で力強く、なんだかじめじめと無駄に深刻ぶった文学趣味をぶっとばしてくれる爽やかさがある。ぼく個人のパーソナリティーを踏まえてみても、女属性の主人公の創造は自分の作品に合致しているように感じる。まだわからないが、今後使うことになるかもしれない。とりあえず、今の段階ではメモとして残しておきます。