そのイヤホンを外させたい

そのイヤホンを外させたい

物語を糧に生きるアラサー男子の方法序説。文芸や出版メディアの趨勢について気になったことを書いていきます。

好きなブログの共通点

ブログの更新頻度は低いが他人のブログは読んでいる方である。


大体5〜10個くらいは継続的に読んでいるブログがあって、内容に共感できたりためになった際にTwitterで拡散することにしている。


自分にはブログに関して特にこれといいったこだわりはないと思っていたのだが、よく考えてみると扱っているテーマや語りの形式には差はあれど共通の部分もあることに気づく。


マイノリティに向かって書くという姿勢があるかどうか。それが他人のブログを読むに当たって俺が最も重要視する要素だ。ここでいうマイノリティというのは社会的弱者のことではなく、意味合い的にはアウトサイダーに近い。置かれた環境ではなく、精神的な暮らしにおいてその他大勢と歩調を合わせることができない人たち。構成、文章の巧拙はそこまで気にしません。現に、読んでる中に全然読まれてないだろうなぁってブログ多々あります。


小説や他の芸術一般でもそうですが、自分と価値観を同じくする数少ない読者に届けばいい、という姿勢で何かを言ったり書いたり作ったりすることはとっても大事なことだと俺は思ってます。かと言って、自分に酔って誰も理解できないようなものを延々と発信し続けるのは問題ですがw


かつて、ゲーテは自分の作品は大多数の人間のためにではなく価値観を共有するごく一部の人間のために書かれたものだと語ったそうです。でも、『若きウェルテルの悩み』はヨーロッパで大ベストセラーになりました。言ってることやってることが矛盾してるって? いいえ、矛盾はしておりません。


万人に理解されるには、まず有志具眼の少数の読者に理解されるものを書く姿勢、努力が必要だということでしょう。


ブログも同じじゃないすかね。大多数に向けて書こうとすればするほど、内容は陳腐化してつまらなくなる。つまらなくてもブックマークやスターは惰性でつくものだからよりタチが悪い。昔は面白いエントリを連発していたブロガーが時を経て迷走を始めるのは、自分にとっての真実の読者を失ってしまったからではないだろうか。


考えを同じくする数少ない読者を失うということは自分自身を放棄することと同じ。いくらアクセス数伸ばして有名になったってそれじゃあ本末転倒だと俺などは思いますが、どうでしょう?


少なくとも、いつも俺が更新を楽しみにしているブロガーの方々は少数のため、または己のためにす、という姿勢でブログを書かれてるなぁと感じます。損得勘定ではなくただ好きだから、世の中に向かって何か言いたいことがあるからやってるだけ。そういった自由度の高い精神活動を読者が増えてもいかにブレずに継続できるかは、書き手にとって非常に大事な能力だと考えています。