そのイヤホンを外させたい

そのイヤホンを外させたい

ブログはタブラ・ラサ

ネット上の声援は9割がただの気まぐれ

持ち上げられるべきでない人間が持ち上げられ「なんちゃって有名人」と化し、その後旬が過ぎると周りから見向きもされなくなる現象をネット上でよく見かける。 使い捨てにされるのはもう一発屋のお笑い芸人だけではないようだ。


面白いのは、不特定多数の人々がある特定の人物を誉めそやす理由と叩く理由が一緒に見えることだ。


たとえば、引きこもりを自認する人間がいたとする。彼は「引きこもり」であるというネット上のアンデンティティそれのみによって賞賛と非難、両極端の評価を顔も見えない第三者から受けることになる。


Twitterなどで顕著だが、素直で真面目な人ほどそういった赤の他人の180度異なる評価やアドバイスに振り回され続け、「やればできる!」なんて自信を植え付けられたり、逆に必要以上にセルフイメージを傷つけられたりしている。相手はただ気分で言っているだけなのに。


リアルライフだったらそんなまやかしには簡単に気づけそうなものなのだが、ネットにいると視野狭窄に陥り常識的な判断ができ難くなってしまう。特にTwitter2ちゃんねるはタイムラインやスレッドが一つの歪な世界を形成しているために、ずっと浸っているとかなり偏った物の考え方を刷り込まれてしまうようだ。実際、俺自身Twitterをやっているので他人事ではない。


他人をダシにして自身を語る愚かな人間がネット上には溢れている。彼らが求めているのは、他人からの承認のみであって、自分が他人の存在を正当に認め評価し受け入れるという現実社会で生きていくために不可欠な協調性は皆無である。


そういったジコチューな人々の言う極論をいちいち真面目に捉えるメリットは全くないだろう。本気で信じてはいけない。時間の無駄だから。自分に悪影響を及ぼす言語空間からはできるだけ早く離脱するべきだ。


しかし、人間はやはり環境の動物。どっぷり浸かっていて綺麗さっぱりやめられない時もある。それならば逆に環境をコントロールする努力をしてみてもいいかもしれない。


おべんちゃらにしろ誹謗中傷にしろ身の丈に合わない評価を第三者から下されたら、一度冷静になって相手と自分の距離を測ってみる。見当違いな罵詈雑言はシャットアウトすべきだし、自信をつけるために敢えて好評価に便乗してみるというのも手だ。ゆるい自己肯定感を持って他人からの評価と付き合うことができれば、自ずと良い結果につながる気がする。


しかし、それで自分の何かが根本的に変わったと思ったら大間違いだ。なぜなら我々は他人の頭の中で生きているわけではないからだ。


自分を正当に評価できるのは究極自分だけである。自尊心が強い、勘違いだと言われようとも自分のことは自分で評価した方がよっぽどいいと俺は思う。その権利を愚かな他人に譲るくらなら。