そのイヤホンを外させたい

夢や願望は始め考えていたのとは違うかたちで実現することもある

夢や希望のほとんどは現実には叶わないものだと俺は思っている。


なぜなら、持って生まれた才能や育ってきた環境、または目標達成のために努力できる量などは人によって大きく差があるにも関わらず、多くの人はその限界を越えたどこかの点にしか自分の夢を設定することができないからだ。そもそも、夢とはそういった欲張りで身分不相応なものであるからこそ夢として輝くのだと言える。この世界で現実に夢を叶えているのは、何らかのリスクを背負い、夢の達成のために周りがちょっと引くくらいの時間と労力を掛けることができる頭のおかしな超人だけなのではないか。


ラブサイケデリコがレディマドンナ憂鬱なるスパイダーで「♪夢なんてないよ〜」と気怠げに歌っていたのをYouTubeかなんかで見て微笑ましく感じた。タモリもヨルタモリの中で夢や目標を持つことの無意味さを宮沢りえに喋っていた。「今ここにある自分を担保にしてあるかどうかもわからない未来に期待するのは間違っている」みたいな感じで。


夢や希望に意味を見出さない人たちがどうして人生に失望しないかというと、たぶん、未来の事柄やここではないどこかにしか目がいかない大半の人と比べて、彼らが「今」という瞬間をレンガを一つ一つ積み重ねるようにして愚直に生きているからだろう。彼らは 夢や希望は信じていないが、現在という時間の累積の果てにある切り取ることのできない未来の存在を無意識に感じるセンスがある。それは常にゆらめき変動しているが、いつの日か確実に目の前にやってくるものだ。


昔ケーブルテレビでやっていたアメリカのシチュエーションコメディで、もうすぐ三十路に突入する売れない画家の話があった。


彼は30歳になるまでに自分の作品を近代美術館に飾ってもらうことを目標にしながら4コマ漫画家のアシスタントのアルバイトに従事してきた。だが、どうやらその夢は叶いそうにない。現実逃避して酒場で飲んだくれる彼を見かねた友人女性が彼を無理やり連れ出して美術館の前に連れて行く。彼ら二人は美術館の周りにめぐらされた塀に思う存分ラクガキをして警察官に追いかけられる。なんとか逃げ切った後、息を切らした彼女が画家に言う。「夢叶ったじゃない」。


何かと明確なゴールとかビジョンが重んじられ、「達成」「結果」が重要視される世の中だが、時には持っていた夢や目標の思いがけない「転倒」に吹き出してしまうことがあってもそれはそれで良いような気がする。