そのイヤホンを外させたい

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ブログはタブラ・ラサ

読書で人は変われるか

書店の棚には読書法に関する本がところ狭しと並べられている。


「読書で人生を変える」や「稼ぐための読書術」などなど。


俺自身本好きなので多くの人が本を買って(あるいは借りて)読むことは喜ばしきことである。しかし、本をたくさん読めば自分が変わるなんてことは、まぁないだろうなと思う。


人間の性根はいくらせっせと本を読んだって変わりゃしない。ショーペンハウエルが「読書というのは他人の頭で考えることだ」と著書の中で言っているが、全くその通りだ。


刺激のある本を読んで自分は変われたと思ったとしても、その感じはせいぜい1週間くらいしか続かない。1ヶ月もすれば何が書かれていたのかも思い出せなくなる。脳の栄養ドリンクみたいなもんで、現実に脳が鍛えられているわけではない。本に書かれている知識を本当に自分の血肉にしたいと望むなら、そのためには仕入れた情報や知識を自分の生活で実際に役立てる努力が必要になる。この「獲得した知識を実際に使う」というのは一般人にとってかなりハードルが高い。なぜならそれは、もはや趣味とか言うレベルを越えてしまって修行とか精進の範疇に入ってしまう。要するに楽しくないのだ。


そこのところを自分なりに深く考えてみないで、やみくもに本を読んでる人たちが結構いる。単なる現実逃避だと言っていい。いや、小説など現実逃避の読書はあっていいのだが、彼らの逃げは想像力が貧困でスケールが小さい。自分の頭で考えるのがめんどくさいから他人の頭に頼って手っ取り早く刺激を得ようとする。充電が切れたらまた新しい本を読んで前に読んだ本の内容はすっかり忘れている。他人が何をしようが勝手だが、同じ本好きとして残念な気持ちになる。彼らの姿からは知的なものはこれっぽっちも感じ取ることができない。


生まれ持った才能。読書さえも才能。究極はその解答に行き着いてしまう。池上彰佐藤優も確かに膨大な読書量を誇っているが、彼らと一般人の決定的な違いは読んだ本の数ではなく、意識の違いである。自分の中の崇高な目標に向かって脇目も振らず突き進んでいくマインドのあり方、才能と不断の努力が彼らを作ったのだ。


しかし、まぁ……普通の人が読書を楽しんじゃいけないってことではもちろんない。ただはりきり過ぎないでほしいだけだ。人生に役立つかどうかなんて気にしないで好きな本を読んでいけばいいんじゃないかと俺は思う。どうせ役に立たないけどひょんな機会に使えることがあるかも。それくらいの期待の仕方で丁度いい。


自分のこれまでの経験から考えても、なにか人生の突破口を見つけるためのガツガツした読書は実りが少ない。良い本には忍耐力のない読者を振るい落とすような力があるので休日など長めの時間をとってゆったりとした気分で味わった方がいい。心の余裕を持つことが大事だ。


アンナ・カレーニナ』を読んだからって不倫がうまくできるようになるわけではないし、(なるのかもしれないが)何が得られるってわけでもないけれど、やっぱりあの小説は必読なんだよね。


そんな根拠のない凄みに敬意を表する人間であり続けたいと常に思っている。