そのイヤホンを外させたい

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文芸好き。ラノベやWEB発の作品まで視野に入れつつ、文学または物語の趨勢について考えたことを書いていきます。

こころの底の底ー空海『秘蔵宝鑰』

空海「秘蔵宝鑰」  こころの底を知る手引き  ビギナーズ 日本の思想 (角川ソフィア文庫)

空海「秘蔵宝鑰」 こころの底を知る手引き ビギナーズ 日本の思想 (角川ソフィア文庫)


実家が真言宗であるということと、人間の内面世界をとことんまで追求していく教えに関心を持ったので読んでみた。自分自身の生と死のルーツをたどってみたいという好奇心もちょっとあった。


神通力や超能力のような話には正直ついていけなかったものの、十段階に分けられた理想の精神のあり方に関する説法はとても分かりやすく、身にしみる部分が多かった。


明鏡止水という言葉が示すように、最大限に研ぎ澄まされたこころというのは、万物を映す鏡である。そこにないようである、あるようでない捉えがたい代物。


自分自身を如実に知る悟りの境地とは、そのような澄んだ水のようなこころと共にあることを意味する。


口で言うのは簡単だが、道のりは果てしなく遠いみたいである。


大抵の人は死ぬまでに十段階ある内の二〜三段階くらいまでしか到達できないだろう。それはまだ空海に言わせれば、仏教の入り口にも立っていないレベルである。


寂滅の境地に到達するには、才能に恵まれた人でも三度生まれ変わるくらいの時間を掛けなければ不可能というのだから凄い話だ。ストイック過ぎてげんなりする。


しかし空海は、たとえ愚かな人間であってもこころを入れ替えて立派な教えに従うよう努力し徳を積めば、賢人や聖人への道は開かれているよ、と前向きなことを言っている。道は険しいが、誰にでも高みを目指すチャンスは与えられているのだ。


空海弘法大師というのも一人の人間なのだということを、この本を読んであらためて認識した。「人間はどのように内面を鍛えていけば真にこの世を生きたと言えるだろうか?」という素朴な問いに背を向けず、長い時間格闘し続けた人間が書物の向こうにいる気がした。


他の宗派のことは詳しく知らないけど、真言宗の根本は水の思想なのかなと感じた。理想的なここのあり方を説くために、水、波、大海などを用いた比喩表現が繰り返し使われている。


空海は船で中国に渡って修行を積んで戻ってきた人だから、船上で眺めていた荒海の光景が根っこの部分に影響を与えているのかもしれない。当時の渡航は今と違ってそれこそ命懸けだから、自然の驚異とちっぽけで非力な人間存在に深く感じ入ることもあっただろうと想像する。


余談だけれど、実家の法事の時に、お坊さんに向かって『大日如来って何ですか?』と訊いて怒られたうちの父親を思い出してちょっと笑ってしまった。そういうの全部ひっくるめて、仏教とそれに帰依する日本人の面白さがある気がする。

およそ人間だれでも、この世に自分が好んで生まれてきたわけではありませんし、死ぬ場合も、自分がいやだといっても、死なないわけにはいきません。そして人々は、自分の心に関係なく生まれ生まれ生まれて色々な世界を生まれかわってゆき、死に死に死に去って三途(地獄・餓鬼・畜生の世界)の間をさまよっているのです。自分を生んでくれた父母も自分が生まれてきた由来を知りませんし、自分自身も死んでからどこへ行くのかわかっていないのです。過去をふり返っても、冥冥と暗くてその原初をたどれませんし、未来を考えてみても、漠漠として明らかでなく、その終極をたずねることができません。加藤純隆・加藤精一訳『秘蔵宝鑰』角川ソフィア文庫 p27、28