そのイヤホンを外させたい

そのイヤホンを外させたい

文芸好き。ラノベやWEB発の作品まで視野に入れつつ、文学または物語の趨勢について考えたことを書いていきます。

岡崎京子『ヘルタースケルター』

ヘルタースケルター (Feelコミックス)

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北条かやさんが、整形する女性たちの姿を社会学的な見地から追った本を出していた。


こんな本が売れるのか? とおれなんかは思ったんだけど、あらためてTwitterやブログなどを見てみると、自分の顔を変えたいという願望を持っている人たちが少なくない数存在しており、自分の肉体を変えることの正当性を声高に主張するようになっていた。ちょっと驚きである。


でも、おれは匿名アカウントによって延々と繰り広げられる整形アリナシの議論を眺めていて、整形それ自体について本やネットで語ること自体バカげた話だと思った。「木を見て森を見ず」という感じである。


なぜなら、われわれは例外なくブログやTwitterフェイスブックなどのSNS上で観念的に整形しているからである。誰もが、実体のない他者からの視線を通して自分自身が評価されることを前提に言葉を発している。個人間でレベルの差こそあれ、実存の改造とでも呼ぶべきことが起こっている。われわれは、無言でiPhoneを操作する自分の横顔に自分自身をもう見出せない。そんな人間がネット上で匿名の怪物になっている。そのことに比べたら、顔をいじることなんてどうでもいいことなんじゃないのか? 人間の内部の変化を無視して表層的な部分のみを社会学的に追ったって意味ないよ、とおれは思う。「キャバ嬢」とか「整形」とか、人々が飛びつくような主題をその都度もってきて、いかにもな考察をすること自体が最も愚かな整形手術じゃないだろうか。


ヘルタースケルター』で岡崎京子が描いたのは、個人が他人や社会に対して行うそのような内面的な整形のもたらす悲劇である。


主人公のりりこを最も苦しめるのは、肉体改造による後遺症などではなく、資本主義社会の中で、本来の自分を心の奥深い部分に幽閉して、その他大勢の求める「りりこ」に自分を合わせていかなければいけない圧力である。りりこというのは、その抗いようもない圧力に極端な形でもろにぶつかってしまった悲劇的人物である。彼女は、どうしようもないほどの俗物なので、自分の苦しみがどこに由来するのかが最後まで分からない。

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だが、作者の岡崎京子は当然のことながら、りりこの悲劇の原因を知っており、時に突き放しながらも終始温かい視線てりりこの崩壊を眺めていてる。物語の中途で登場する天然の美少女こずえは、りりこが持っていないもの
全てをもっている存在である。こずえは、作者岡崎と同じような目で、自分の美しさや美しさゆえの欺瞞性を観察することができる。だから、彼女はりりこのように大衆から飽きられることなく、モデルとして売れ続ける。「どうせ私たちなんて全員が畸形なんだから」というドライな物の考え方がこずえにはある。そして、それはそのまま作者岡崎がこの作品を通して言いたい事柄であり、現代の世の中にも通用する鋭い批判である。


降ってわいたような上辺だけの議論に絡めとられ、現実の地平から目を背け続ける現代人は整形などしなくても十分に立派に美しく畸形なのである。議論の余地があるとすれば、認識のレベルでしかあり得ないようにおれは思います。


ヘルタースケルター スペシャル・エディション(2枚組) [DVD]

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