そのイヤホンを外させたい

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文芸好き。ラノベやWEB発の作品まで視野に入れつつ、文学または物語の趨勢について考えたことを書いていきます。

ちゃんとモテる力/二村ヒトシ『すべてはモテるためである』

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)


ネット上の性愛カテゴリーをベースにものを考えてる人間でこの本に目を通してないのはモグリ。そう言われても仕方のない本であるから、遅まきながら読んでみました。


『すべてはモテるためである』(以下「すべモテ」)には、二種類の男性読者層が想定されていると思う。


一方は、この本を買う大多数を占めるであろういわゆる「非モテ」の男性、他方は、女性との恋愛およびそれに付随するセックスにおいてそこそこの経験値をもっている「リア充」もしくは「ヤリチン」の男性だ。後者は基本的に自分を「モテている」と信じていらっしゃるので、本書を手にする機会は前者よりも圧倒的に少ないだろう。しかし、そのような男性にこそ読んでもらいたい、というのが著者の二村さんの真意であるようだ。なぜなら、「モテ」という概念ときちんと向き合えてない点で、両者は同族だからである。

非モテ」の読者へのアドバイスに比べ、「リア充」「ヤリチン」の読者へ向けたそれは、本人に自覚がないというハンデを埋める分だけより手厳しいものになっている。以下、読んでてソワソワした文章。

「オレは『自分がある』し、なにが好きか自分の言葉で言えるし、自意識過剰になるほどヘマじゃないぜ」って、あなた。
あなたが、いちばん臆病でバカな男です。バカの中のバカ。
あなたは幸か不幸か、学校の勉強や会社の仕事がソツなくテキパキと、できちゃう人なのでしょう。そんなあなたは、自分が「エラソーな」と思われることにも「臆病」と思われることにも敏感ですし、要領もいいですから、一見それほどエラソーにも臆病にも見えないようにふるまえています。
あたなは、あまりへんなコンプレックスを持つことなく、ここまでこれた。だからあなたは「暗い奴」ではない。「自分の居場所」もあると思ってて「自分は輝いてる」とも思ってる。
でもモテてない。
もしくは、モテてはいるけれども相手の女性と「ちゃんと愛しあえない」あるいは「自分がモテたくないような女性からモテる」から、いつも「もっといい女にモテたい、もっともったモテたい」と思っていて、ぜんぜん幸せではない。


世間に流布している「モテる男性像」に対して、このような批判のまなざしをもっている点で、「すべモテ」は他の数多くの恋愛ハウツー本よりも優れています。著者の視点が高いところにあるのです。


こと性愛に関して、「視点が高い」ということはその分「感度が良い」と表現してもいい。


今少なくない数の信者を獲得している恋愛工学の発案者藤沢数希さんとの対談においても、性愛に対する両者の感度の違いは明らかだった。


二村ヒトシと藤沢数希の対談が全く噛み合ってなくて面白かった - はてな匿名ダイアリー


全部読んだわけではないですが、発展性のある内容とは百歩譲っても言い難い。


記事の冒頭で、二村さんが最も「切実」で本質を突いた質問をしているのだが、藤沢さんはその質問から無意識に身をかわして手近にある楽な「切実」(コンプレックスとかオスとしての自尊心とか)をもち出すことで、話の核心から議論を遠ざけたように感じられる。藤沢さんはたぶん、頭はキレるけどその分鈍感な人なのだと思う。二人の嚙み合わなさの原因は、記事執筆者の言うように、恋愛におけるゴール設定やセックスの趣味の相違を含めた恋愛の感度の違いである。恋愛工学のメソッドは究極、先の引用において二村さんが「バカの中のバカ」と表現した「リア充」や「ヤリチン」を目指すためのものでしかない。二村さんの恋愛論は、恋愛工学のようなシステマティックな思想と決して水と油の関係ではなく、後者の合理性の行き着く先を見越した上で展開されているようにぼくには思えるのだが、どうだろう?(もちろん「すべモテ」の大部分は恋愛工学が出現するよりもずっと前に書かれたものである。しかし、書物の世界では古いものが新しいものを乗り越える視座をもっていることは決して珍しいことではない。)


ちなみに、ぼく自身の意見としては、恋愛工学生は色んな女性とセックスできるし男女の事柄についてある程度分かった気になれるから、「大勢の女性の中からオンリーワン」を探すなどと耳触りの良い理想論を好き勝手に展開できるのだろうと思っている。しかし、彼らは結局、恋愛のダイナミズムのようなものに押し潰されるのではないか。サバき切れないものをサバこうとする、あるいはサバいたつもりになっているといつかしっぺ返しをくうと思う。


さてそれでは、「モテる」とは何だ? 「すべモテ」の中ではどのように説明されているか。


残念ながら、そのものズバリといった答えは明示されていない。ただ、非モテ男性のための処方箋としての答えは書かれていた。


「モテる」とは、自分を知っているということだ。ひいては自分の穴の深さを知っているがために目の前の異性の穴の深さも推し量れるということだ。自分が何が好きなのかをちゃんと理解していてエラソーにならずにきちんと他人に説明できる。飾らない自分に適度な自信をもっている。そのような人こそ「ちゃんとモテる」力のある人であるはずだ。キモチワルい故にモテない「非モテ」も、本当はキモチワルいにも関わらずインチキな自己肯定をしてあたかもモテているように見せている「リア充」「ヤリチン」も、「ちゃんとモテる」ために目指す約束の地は同じなのである。


非モテはこんなん読むのかーww」などと調子こいてる恋愛プレーヤーこそ読んで返り討ちにあってください。