そのイヤホンを外させたい

小説を読むことは究極のライフハックである



小説家の保坂和志は、過酷な現代社会を個人が生きるために必要なことを訊かれて、「それはたとえばカフカを読むことだ」と述べている。


ごく一般には、人生に役立つ知識やノウハウの意識的な蓄積こそ最も効率的な生存戦略だと信じられている。だがそれではダメだと保坂和志は言う。なぜなら、そのような情報を自分の中に入れれば入れるほど実は対象に飲み込まれていく結果を招くのであるから。その容赦のない力に抵抗するための「カフカを読め」なのである。


・やっぱり、知れば知るほどわからないっていうほうがずっと面白いと思うんだよね。だから「わかった」って言う人に対しては、「浅薄」だって思わなきゃいけない。p25 『考える練習』


小説好きの人間としておれは保坂和志の主張はとてもよく分かるし、より多くの人に同じ価値観が浸透すればいいと思っている。


だが、もし第三者から貴重な時間を費やして小説を読むことの具体的なメリットを訊かれた際には、一体何と答えるのが正解だろうか? 答えに窮して黙り込んでしまうのも困りものなので、ある程度説得力のある回答を示しておきたい。


「そういう質問をしたりされたりすること自体がダメ」なんて保坂和志なら言いそうだが、おれのようなカスは、相手の立場を考慮に入れてある程度向こうのニーズに沿った形で回答を示す努力をしないと、話さえまともに聞いてもらえないことが多々ある。ただ、「大きな力に抗うためです」とキリリと宣言したところで、キモがられるだけだろうし、たぶんバカ認定される。おれはそれがフツーに嫌だ。たとえ対象が語りえない事柄であったとしても、他人と話をする以上こちらの考えを理解し納得してもらいたい。語りえないことに対しては間違っていてもいいから敢えて発言する図太さだって時には必要なのだ。


では、普段小説なんて全く読まない人間に、すぐには利益に結びつかないそれらを手に取ってもらうには、何と言ってアピールするのが適当か?


やり方は人それぞれあるだろうけど、おれ自身これがベストだなって思うのは、流行りの「情報断捨離」の切り口から話を始めることである。


まず、相手の共感を得る。「ネットに常時接続してたり、自己啓発本やビジネス本ばかり読んでたら、だんだん精神的に消耗して感覚死んできますよね?」みたいな感じで。


次に、その精神的消耗の理由をソース込みできちんと説明し分からせてあげる。




チェコ好きの日記」の過去記事ですが、非常に分かりやすくて面白いですね。


すぐ役に立ちそうな目先の知識ばかり追いかけていると、徐々に自分自身の欲望を見極めることが困難になってくる。これは誰もが内心で思ってることですから、説明にはそれほど苦労しないはずです。


自分の意志とは無関係になだれ込んでくる情報の嵐と距離を取ることが第一ステップ。その後、「情報断捨離」のおかげで空いたスペースを利用して自分の本当の欲望を探していくのが第二ステップです。


もし小説を読んで最も何らかの利益を得られるタイミングがあるとするなら、きっとこの第二ステップにおいてでしょう。小説は瀕死の感覚を蘇らせ、個人に真の欲望を自覚させます。断捨離後、ヨーグルトを食べて空っぽになった腸を綺麗に掃除し善玉菌を増やすように、情報断捨離をするわれわれも空っぽになった脳の中に文学という栄養を送り込むことで、より豊かな心を手に入れることができるはずです。どうですか? 一面的ではあるけれど、これならまぁ、相手もある程度は納得してくれるのではないでしょうか。少なくとも小説を読むことは暇つぶしのためだけではない、ということは理解してくれるはず。


まとめ


たとえそれが二日でも三日でもいい、情報を遮断し、ひとつの作品と長い時間をかけてじっくりと向き合う。そんな時間を持つことができれば最高だ。なぜなら、あなたという存在に「違いの分かる感じ」が出てくるから。「違いの分かる感じ」は万能だとは決して言えません。しかし、分かる人には分かってもらえる。そして、分かってくれる人のことをきっとあなたもよく分かる。小説を読むことは、詰まるところ本当の自分を探しにいく旅だと思います。これを本物のライフハックと呼ばずに他に何と呼ぶのか?