そのイヤホンを外させたい

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そのイヤホンを外させたい

文芸を糧に生きるアラサー男子のブログ。

既刊本の書評も悪くない


わたしは本好きなので、このブログも自然と読んだ本の感想が多くなっています。


ことネットに関してなるべく多くの人に記事を読んでもらいたいなら、出たばかりの話題の本を逃さずレビューしていくのが一番手っ取り早い方法でしょう。


わたしも自分にでき得る範囲で新刊本のチェック、紹介はしていきたいと考えています。しかし、いかんせん昔から情報感度の鈍いスローモーな人間であるので記事の本数、網羅性に関しては他の書評ブログに到底敵わないだろうと思われます。


やはり他人にすすめるからには新旧問わず自信を持って「オススメです!」と言える本を紹介したいもの。となると新刊レビューを不得意とするわたしの場合、既刊本の価値をいかに読者に分かりやすく伝えるかが重要になってくるのだろうと思います。


じゃあ、移り変わりの早い今の時代にわざわざ既刊本を紹介する意義って一体なんぞや? そんな素朴な疑問について考えたことを。


目次


埋もれた書物に光を当てるブロガーの書評


わたしは過去に3年ほど出版社で働いていた経験があって、これはその時の話。


わたしは営業職だったので1日の大半は書店営業のため外に出ていましたが、朝9時〜10時くらいの間は会議とか事務処理とかで大抵社内にいました。


ある日、その時間にやたら営業部の電話が鳴るので何事かと思って事務のおばちゃんに訊くと、大昔にうちの会社で出した本の注文が書店から立て続けにあったというのです。


記憶が不鮮明で何のジャンルに属する本だったか忘れちゃったのですが、会社の流通センター(倉庫)の隅っこにダンボール二箱分くらいで何年も放置されていたとっくの昔にコンテンツとしての賞味期限の切れた商品でした。


わけも分からぬままその後も電話は間を空けずにポンポンと鳴り続け、結局その日の午前中だけで10冊分くらいの注文が入りました。


少な!って思った方いるかもしれませんが、いやいやいや出版業界の低迷と弱小出版社の業績不振をご存知の人であればこの冊数でも快挙と言っていただけるのではないでしょうか。


基本的に何かよっぽどな理由がない限り旬を過ぎた商品が再び売れ出すということはまずありません。新刊本ですら発売から1ヶ月も経てば大した実売を記録できない昨今ですから。


ではこの現象は一体?


うちの会社は他の弱小出版社と同様ITリテラシーのある人間がわたし含め皆無だったので、大分後になってからようやくこの謎の事態の原因を知りました。


理由は単純で、とある有名ブロガー(この人も誰だか忘れたけどアメブロユーザーだったのは覚えてる)が自身のブログでうちの本に触れていたんです。


当時のわたしはブログとか一切書いてなかったし読んでもいなかったので正直驚きましたね。雑誌や新聞の書評欄に掲載された本に一時的に注文が集まるのは知っていましたが、ブログにこれほどの影響力、集客力があるとは知らなんだ。


ブログなんて知名度のある芸能人とか友達の多いリア充が趣味で片手間にやるものでしょ、という自分の認識がわたしの中で変わったのもこの出来事がきっかけです。


ブログあれば出版営業いらねーじゃんってね。笑


既刊本が売れればみんながハッピー


既刊本が売れることによるメリットは多い。


まず、もちろんメーカーである出版社。自分たちの会社の本、しかも昔に出した本が予想外に売れてくれれば経営が潤います。さらに、重要なのは既刊本が売れてくれれば新刊の発行点数を減らせます。


どういうことかというと、業界の右肩下がりに伴い、売り上げ不振に苦しむ出版社は休むことなく新刊本を出し続けることで辛うじてその面目を保っています。いわゆる出版社の「自転車操業」というやつです。昔と比べて1冊1冊が極端に売れなくっている現状ではこうする他ありません。


でも、それって会社で働いてる社員としては超ハードなことですよね。会社の経営不振で前より給料も安くなって人員も削減されてるのに業務量だけは多くなる一方なんですから。そんな無理ゲーな状態が続けばどうなるかは自明です。


余裕がなくなることによって出版社が文化的水準を保てなくなり、刊行物のクオリティーが下がります。身も蓋もない言い方をするなら、多くのクソ本が世に出回ることになる。



本に関わる人間は例外なく良い本を求めています。作家は良い内容の本を書きたいと思ってるし、出版社は良い本を作りたいと思ってるし、取次は良い本を全国の書店に流したいと思ってるし、書店は良い本を売りたいと思ってるし、われわれ読者は良い本を読みたいと思っている。これ、当たり前ですよね。


しかし、今の出版社は残念ながら社員の食い扶持を稼ぎ出すので精一杯という印象を受けます。


これは、戦後から続く出版業界の仕組みとしての歪みの問題が根本にあるので簡単には変わらないと思いますが、たとえ一石を投じるというレベルでは貢献できなくても、出版社に掛かる負荷をちょっとでも少なくしてやるという点においてブロガーが積極的に既刊本の魅力を語っていくのアリだとわたしは思います。

新刊本の書評には愛がない


冒頭にも書いたように、単にブログのアクセス数稼ぐためなら新刊本のレビューばっか書くのが一番の近道です。現にそういうブログはたくさんありますよね。1日1回の更新頻度でひたすら新刊のみ紹介していくようなのが。


何を書くかというのは個人の好き好きだから全否定するつもりはないけれど、そのセレクトとその内容だったら人間じゃなくて機械が書いても同じじゃね? とツッコミを入れたくなる。一見多く読まれているようなものでも本音のところでは読者が飽きている書評ブログは少なくないのではなかろうか。いや、最初から眼中にないというのが正しいか。読者にとって書き手が空気のような存在になってしまうのはなかなかつらいものがある。


機械が書いても同じってのは冗談じゃなくて機械になってくんだと思うよ実際。今や星新一テイストの短編小説を書けるくらいなのだから新刊の内容を紹介して当たり障りのない感想を付すくらい朝飯前でやってのけるでしょう。


ただ機械が人間と異なるのは、ある商品を独断と偏見に基づいて必要以上にプッシュすることは不可能だということ。どんなに文章が整っていても対象への過剰な(偏執的な)思い入れのある書評は人にしか書けないと思います。


世に出る新刊本がその都度自分の人生観を変えてくれるような傑作であれば残らずレビューすればいいと思うけどさ、そんな簡単な人いるとは思えないのでわたしは自由度の高いネット書評を望みます。

過去の蓄積に目を向ける大切さ


最後にちょっと意識高い話。
ブログに書評を書くという行為は、より抽象度を高めて眺めた場合、インターネット上に個人が文章を書きそれを大多数に向けて自由に発信できるようになったという歴史的大事件の渦中での出来事と言えます。


「ブログで稼ぐ」とか「プロブロガー」って言葉が一人歩きしていつの間にか本質を見失った感があるけれど、長い目で見ればそれって些細な問題だよね。


それほど詳しくないけど、グーテンベルク活版印刷術を発明したり、マルティン・ルター新約聖書をドイツ語に訳したことによって成し得た功績って、別に新しい印刷術で食ってくとか、読みやすい聖書で儲けて理不尽な親方のいる工房から逃げ出してみんなでフリーランスになろうぜ、とかいった卑近な事柄ではないはずですよね。もちろん個人の人生からしたら大切な問題ではあるけれども。


それまで情報を享受できなかった多くの人間に言葉を解放したから偉業なんでしょ。


そう考えると、ブログで稼ぐとか新刊既刊いずれの書評をブログに書くべきかとかアクセス数はあった方がいいかどうかなんてちっぽけな問題に思えてくる。


まぁ、あくまでも本記事はブログでの書評はいかにあるべきかというものなので今ここから掛け離れた話はほどほどにしたいのですが、こと既刊本書評の是非についても、過去の蓄積に対するダイナミックな時空感覚を前提として持っていれば、より頭良さげな判断ができるのではないかと思います。


世界はゲームと違ってリセットがきかないので時に目を背けたくなるような状況に陥るけど、良くも悪くも蓄積型の容れ物です。トライアンドエラーができる。だからやっぱり過去の遺産は大事にしたい。もちろん、新しいものにアンテナを張り巡らせることもおろそかにせず。なんか忙しいですね。笑


出典不明だけどTwitterに転がってたゲーテ大先生の言葉を。偉人は目標設定からして凡人と違いますねー。

はるかな世界と、広い生活を、長い年々の誠実な努力で、絶えず究め、絶えず探り、完了することはないが、しばしばまとめ、最も古いものを忠実に保持し、快く新しいものをとらえ、心は朗らかに、目的は清く、それで、一段と進歩する。