そのイヤホンを外させたい

そのイヤホンを外させたい

物語を糧に生きるアラサー男子の方法序説。文芸や出版メディアの趨勢について気になったことを書いていきます。

専業小説家は絶滅するかもしれない

「次は小説を書いてみませんか?」


特定の分野で一定の評価を得た人物に編集者はそう提案したりする。


新人賞を受賞したばかりのほとんど無名の作家の本を出すよりも、畑違いと言えども、あらかじめそれなりのファンを持つ有名人の本を出した方が売り上げが見込めるからだ。

最低。

最低。


小説の上手い下手なんてこの際大した問題じゃない。形だけそれっぽく見えさえすれば、信者が勝手に持ち上げてくれる。読者の数も事前に予想できるので刷り部数の設定もしやすい上に、万が一売れなかったとしても作者には帰るべき場所があるからお互い後腐れがなくて楽である。売れるか分からない新人を一から育てるなんてコスパが悪い。

時計の針は元には戻らない


有名人が小説を書くことに文句があるわけではない。むしろ望むところだ。現に上に貼った紗倉まなの本は意外に上手いらしい。ステマかもしれないが。


作家が出版社から受け取る原稿料と印税のみで生活の糧を得ることができたのは、作品の文化的水準を保つ上ではとても良いことだったと思う。しかし、ここ十数年の出版業界の業績右肩下がりの影響で、出版社と作家の二人三脚の関係性は名ばかりとなり、そんな悠長なことは言ってられなくなった。


工夫を凝らさずとも本が売れた時代は終わりを告げ、プロとアマの境界線も曖昧になった。今や、編集者に原稿を手渡すだけで飯が食えるのはごくごく一部の売れっ子作家だけであり、その他大勢は一、二作出して芽が出ず消えてしまうか、仮に生き残ったとしても、小説以外の仕事に従事して糊口をしのいでいる状況にある。


思うに、専業小説家という特権的な地位が許されるのは、せいぜいあと十年程度のことではなかろうか。きっとそれ以降は、全ての作家が何らかの分野で生計を立てると同時に副業として作品をインターネットやSNSを通じて販売し、読者を自分の力で集めていくゲリラ戦になっていくんだろう。そう、専業小説家は絶滅するのだ。そういった意味で、有名人による小説執筆というビジネスモデルは、小説家志望の人間がこの先直面するプラットフォームの避け難い変化である。

新人賞に敢えて応募しないという選択もある


今後、多くの小説家はデビュー作を世に送り出す時点で既に何者かであることを要求されるようになっていくのかもしれません。


一つの分野で秀でた者が副業として小説を書く。否定的な意見もあるだろうけど、わたしはアリかなと思います。作家生命の存続という点ではあながち間違ってない気がするから。


せっかく時間と労力を費やして書いた本に対して、経営状態の悪い出版社から原稿料の遅延や未払いを食らうよりよっぽど健全です。作家も自分の身は自分で守るという時代になったというだけのこと。


まじめな読者は、ジャンルの質の低下を嘆くでしょう。でも、そもそも小説というのは文章表現の異種格闘技戦みたいなところがあるので、作家自身が変化を拒まなければ、時代の波に合わせていくらでもその形式を変えていくことができます。既存の文学でさえそのような紆余曲折の果てに出来上がったものなのですから、それを絶対のものとして他を認めないのは間違っている。


今もなお、多くの小説家志望が商業デビューを勝ち取るために新人賞への投稿を繰り返しています。はっきり言って、そのほとんどの場合が負け戦でしかないように思う。


今は昔と違いネット環境も整っているので、新人賞で引っ張り上げてもらえないためのリスクヘッジとして、投稿サイトに作品を掲載したり、kindle電子書籍を出版してみたり、noteでエッセイや短編小説を販売してみたりなどという試みは大事ではある。


だが、それでもダメな時はホントにどうあがこうともダメだろう。小説というのは天邪鬼なところがあって、書けば書くほど良いものが生まれるとは必ずしも言えない。極端な話、書けば書くほどド下手クソという例もネット上にはザラだ。小説はコミットばっかしてるとそっぽを向く。


自分の中で書くべき事柄がはっきりせず、どうしても筆が進まない人は、思い切って小説とは全く関係のない事柄に没頭してみることもまた有益ではないだろうか。そのまま小説なんでどうでもよくなってしまうという可能性も大いにあり得るが、それはそれで幸せなことかもしれない。


小説を書きそうにない有名人が「次は小説を書きます」とさらっと宣言して実際に本を出してしまう世の中はちょっと変な感じだが、取り方によっては小説家志望の選択の幅が広がったとも言えそうなので、ひとまずは喜ぶべきこととしてこの変化を受け入れたい。