そのイヤホンを外させたい

そのイヤホンを外させたい

物語を糧に生きるアラサー男子の方法序説。文芸や出版メディアの趨勢について気になったことを書いていきます。

ジム・ホーキンズとジョン・シルバー/大人になるということ

宝島 (新潮文庫)

宝島 (新潮文庫)


いつの頃からだろうか。
自分が書く物の足しになるような何かを求めて小説を読むようになったのは……。


小説家になるためには新旧問わずできるだけ多くの作品に触れておかなければならない。


そんな強迫観念に囚われて、息つく暇もなく次から次へと読む本を替えていた。まるで、他人より多くの小説の中身を知っていることが自身の小説家としての成功を約束してくれるかのように。


ブログを書くようになってから、前より気楽に小説と付き合えるようになった。読む冊数自体は減ったものの、読み終わった本について考える時間も増えたし、読んでいる最中に次に読むべき別の本についてせわしなく考える必要もなくなった。自ずとページ数の多い古典に手が伸びるようになり、今では、気のおもむくままに本の世界を周遊している。楽しい。


このたび、スティーブンソンの『宝島』を17、8年振りに読み返してみて、いつの間にか忘れていた、純粋な読者としてのあの頃の気持ちが自分の中に蘇るのを感じました。


読む年齢によってガラリと作品の雰囲気が変わる

まずなによりも、初めて読んだ時と比べて作品の印象が全く違うのに驚いた。


子供の頃の自分は本作を純粋な冒険小説としてのみ受け取っていたので、主人公の少年ジム・ホーキンズの一挙手一投足に自分自身を投影して思春期の男の子特有の喜びに浸っていた。


だが、今のわたしはジムの冒険よりも、彼の目に映る大人たちの姿の方に注目する。老海賊ビリー・ボーンズ、医師リヴジー、船長スモレット、置き去りにされた男ベン・ガン、そして船のコックジョン・シルバー、それぞれが異なる魅力を放っていて、わたし自身がこれまでの人生のどこかのタイミングで出会ってきた人々の面影を全員が少しずつ備えているようにも感じられた。

タバコとタールの強いにおいが、中からぷんとしてきたが、いちばん上には、念入りにブラシをかけてたたんである一着のすこぶる上等な服のほかには、なにも見えなかった。この服はまだ一度も着てないわ、と母がいった。その下は、ごたまぜで、­―― 四分儀、ブリキの小さい缶が一個、タバコが数本、ごくりっぱなピストルが二挺、銀の棒が一本、古いスペインの懐中時計が一個、それにあまり値打ちのないたいていは外国製の装身具がいくつか、真鍮でこしらえたコンパスが一つ、それから珍しい西インドの貝殻が五つか六つあった。そのとき以来、わたしは、船長が悪業を犯しておたずね者の放浪生活を送っているあいだに、どうしてこんな貝殻をもち歩いていたのかと、ふしぎに思うことがたびたびある。
佐々木直次郎、稲沢秀夫〔訳〕『宝島』(新潮文庫)p42~p43より


これ、作中で一番好きな一節です。
死んだビリー・ボーンズの船員衣類箱の中身をジムが母親と物色する何ていうこともない場面ですが、少年の無垢な瞳を通じて一人のならず者の骨太で、そしてどこか哀愁の漂う生き様を垣間見ることができる。『宝島』の一番の魅力はここにあるとわたしは思う。


夢見る少年から狡猾な大人へ


本作の中でとりわけ異彩を放っているのは、ヒスパニオーラ号の船付きコックである片足のジョン・シルバーであることは異論はないでしょう。これほどまでに多面的な性格を持ち合わせた人物を生み出すことのできる点、スティーブンソンの深い人間理解にあっぱれといった感じだ。


シルバーが叛乱仲間に自身のささやか夢を語る場面がある。


自分は、宝島にあるフリント船長の財宝を手に入れて今度こそ海賊稼業から綺麗さっぱり足を洗い、平穏の生活を築きたいのだ。そんなことを彼は言う。


わたしはこの老練な海賊に強いシンパシーを感じた。彼の謙虚さの背後には、人生において何らかの敗北を味わった人間だけが持つことのできる強いエモーションがある。これは、主人公のジム少年にはないものであり、少年時代のわたし自身にもなかったものである。しかし、今のわたしにはほんの少しだけそれが分かりかけているかもしれない。シルバーの謙虚さは運命に負けた人間の諦めの感情から来るものではない。むしろ、それは全く逆の方面に由来する何かだ。



シルバーという人間の言動の数々を見ていると、以前一緒に仕事をした20以上年の離れた不動産屋のおっさんを思い出す。初対面の相手には最初は物腰柔らか、こちらが恐縮してしまうほど低姿勢だが、ひとたび相手のウィークポイントを見つけると途端に横柄な態度に転じ、強い言葉で威圧して自身の要求を飲ませようとする。目的のためなら手段を選ばない、そんな狡猾な大人。


その人のことは最後まで好きになれなかったし、自分も彼のようでありたいとはちっとも思わなかった。でも、商売のためにこれほどまでに己を殺し、他人の懐に入ることに徹することができるという点にある種の潔さを感じてもいた。この人は一体どのような信念、人生哲学を胸の内に秘めてやがるんだろう? なんて彼の仕事振りをそばで見ながらわたしは思っていました。リンゴ樽の中で息を潜めてシルバーたちの会話を盗み聞きするジム・ホーキンズのように、その人が背中で見せる大人の世界にわたしは強い畏怖の念を感じていたんです。


本作を初めて読んだとき、わたしはまだ子供で純粋な意味での冒険に憧れていました。大人になったら日本を出て色んな国を見て周る。そんな大胆で無責任な夢を持っていた。夢見る少年だったからこそ、周りの人間の制止を振り切って好奇心のままに危険な冒険に飛び出すジム・ホーキンズの気持ちに共感が持てたのです。


だが、その後の人生で子供の頃に思い描いたような世界を股にかけた冒険に繰り出すことはありませんでした。それどころか、どちらかというとインドアで休みの日などもあまり活発に外を出歩くことのない内気な大人に成長しましたから。


年齢を重ねるにつれて自分の気持ちに何か決定的な変化があったのか? 


おそらく、そうじゃない。根っこの部分は子供の頃と何ら変わらない。ただ、自分自身が生きる現実によりシビアに向き合うようになった。。それだけの話。あの不動産屋のおっさんもいくらかはそうだったんだろうなー。


わたしがギリギリまで旅に出ない理由

ただ仲間と騒ぐためにキャンプに行ったり、買い物や自分探しのために気軽に海外旅行に行く人間がわたしは好きではありません。否定はしないけれど、きっと話は合わないだろうなと思う。


旅行から戻った彼らは、さも自分が特別でスリルのある経験をしてきたかを他人に滔々と語りがちです。でもさ、わたしはそんなもの全部偽善だと思う。お手軽に行って帰ってこれる旅に意味なんかないよね。


上に書いたように、子供の頃世界中を旅したいと思っていたわたしは28歳の大人になってもまだ出発ができずにいる。このまま永遠に出発しないかもしれない。それでも別に構わないと思っている。


なんでか。


それは、本当の旅はギリギリまで旅に出なかった人にしかできない、といつの頃からか思うようになったからだ。旅に行ったから変わるのではない。旅に出る前に既に変わっている。だからこそ旅に出るのだ。異国の風景を見ることなんて単なる付け足し、おまけに過ぎない。


スティーブンソンの他作品に『水車小屋のウィル』というのがある。タイトル通り水車小屋に住むウィルという男性が主人公の地味な短編小説です。


峡谷の水車屋で暮らしているウィル少年は、大きくなったら平野に下って都会で成功することを夢見ていた。しかし、養父母の死や恋人との婚約の解消などの淡い経験を通じて、彼は自分はその土地から死ぬまで動かないという確固とした信念を持つようになる。下界では、多くの人々がありとあらゆるバカ騒ぎを繰り返していたが、ウィルはそういった物事とは一切関わり合いになることなく、土地の人々の尊敬を集めながら、ある夜遂にその生命を静かに終える。

「少年のころ私は迷いましたよ、好奇心をもって探りを入れる価値があるのは世界なのか、それともこの私自身なのか、どちらだろうとね。今ではそれが私自身なのだと知りましたから、もう二度と変わりませんよ」
スティーブンソン『マーカイム・壜の小鬼』p84より

人種は180度違うけれど、『宝島』のジョン・シルバーの性格には『水車小屋のウィル』のウィルの哲学が少なからず反映されているように思う。


繰り返しになるが、それは決して生きることに対する諦めの感情や臆病に根差すものではなく、スリル溢れる冒険を乞い願う少年の野心からさらに一歩も二歩も進んだ、大人としての人生に対する果敢な挑戦の表れなんである。


自分はと言えば、アラサーと呼ばれる年齢に突入し、一応会社員ではあるものの将来性のないことではバイトと五十歩百歩の環境で安い労働力を売っている身なので、いつまでもガキの理想ばかり言ってられねーなと感じています。


でも、だったらより一層おれは一本足のジョン・シルバーのようになりふり構わず堂々と自分の人生死に物狂いで生きちゃるぜと思うのであります。


まぁ、『宝島』から人生を学んでる時点でまだまだ若いよねw

♪フィフティーンメンオンザデッドマンズチェェーストヨーホーホーアンザボトロブラム♪

♪死人の箱にゃあ十五人
よいこらさぁ、それからラムが一罎と!♪


マーカイム・壜の小鬼 他五篇 (岩波文庫)

マーカイム・壜の小鬼 他五篇 (岩波文庫)

図説 海賊大全

図説 海賊大全