そのイヤホンを外させたい

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アラサー文系男子のピカレスク・ログ

村田沙耶香『コンビニ人間』の感想

芥川賞

コンビニ人間

コンビニ人間


文藝春秋誌上にて、第155回芥川賞受賞作『コンビニ人間』を読みました。


単行本で買うよりも安い上に、審査員全員の選評ももれなくついてくるので雑誌で読む方がお得ですよ。

文藝春秋 2016年 09 月号 [雑誌]

文藝春秋 2016年 09 月号 [雑誌]



さて『コンビニ人間』ですが、受賞の発表が丁度ポケモンGOの日本上陸と被っていたこともあり、話題性としては完敗でしたな。実際僕自身も受賞のニュースを見た時「あん? コンビニ人間? 何なのさそれ? 悪魔の実の能力者かよ。全然ワクワクしないわ〜」とめちゃ失礼な感想を抱いておりました。


でも、創作クラスタの人たちのブログやTwitterのつぶやきをチェックするとなかなか高評価だったので、これは読まなきゃダメなやつかもと考えをあらためました。


結果、読んでどうだったか。


上手いっすね。明らかに純文学なのになんだかエンタメ小説を読まされてるかのようです。


主人公の恵子は18年もの間同じコンビニでアルバイトを続ける36歳の女性です。彼女は「コンビニ人間」として機能することのみを目的に生きています。


恵子は自分の本分に従って淡々と「コンビニ人間」としての責務を果たそうとするのですが、周囲の正常(?)な人々は社会通念から逸脱した彼女の存在を許しません。ことあるごとに「そのままであってはいけない」という重圧を掛けてくる。


しかし、恵子という女性にとってはそういう他人からの意見や批判は余計なお世話を通り越してもはや意味不明でしかないんですよね。目の前で妹が自分を心配して泣いていても涙の理由を理解できない。彼女にとって、自分と物の見方の全く異なる他人のいる社会で最も居心地が良い場所こそがコンビニなんです。そこでなら「世界の部品」としての自分の存在を実感することができる。


面白いなと感じたのは、前半では恵子にとっての理想の居場所として描かれていたコンビニが、新人バイト白羽という異物の混入によって均衡を崩し、実はその場所さえも常識や偏見に塗り固められた「外の世界」の延長でしかなかったということが次第に明らかになっていくところ。コンビニも「外の世界」と同様に異物はすぐさま排除される仕組みになっている。


皆の言う「ごく普通」であることに困難を感じた恵子が安息の場として見出したコンビニが、同時にこの世で最も画一化を求められた場所でもあること。皮肉ですな。


ですが、悲劇なのはあくまでも純文学作品として見た時の話です。


僕は、本作はよく審査員や書評家が口にする「人間が描けているか否か」という基準で見たら不合格だと思うんです。「人間を描く」という言葉自体ちょっと? ですが、敢えて乗っかって考えてみても本作は人間が描けていない。


主人公の恵子は『ちびまる子ちゃん』の野口さんだし、白羽くんも他の同僚や女友達も全員人と言うよりはキャラだよね。ライトノベルのそれに毛が生えた程度に見える。それでいいと思うけど。


しかし、そこそこ暗いテーマにも関わらず本作が所々笑って読めるのってこの取っつきやすいキャラ設定があるからでしょうね。そういう意味でエンタメ色のある作家さんだなぁと感じた。


あともう一つの魅力は、コンビニという箱の中で少なくない時間を過ごすということに対しての純粋な喜びが描かれている点でしょうか。


僕自身が学生時代にコンビニの夜勤のバイトやってたことも関係すると思いますが、コンビニの仕事って悪くないんだよね実際。整列した物に包まれている安心感のようなものがあって。

ずっとあるけれど、少しずつ入れ替わっている。それが「変わらない」ということなのかもしれない。


という一節が妙に腑に落ちたのでした。
深夜に人恋しくてコンビニに立ち読みに行った経験のある輩ならきっと分かってくれるであろう資本主義の機微ですね。


流行に便乗するようでこれまでやっていなかったけど、芥川賞受賞作をタイムリーで読むのなかなか楽しいですね。でも、本作は話題性としてはやはり乏しいのだろうなぁ。ちょっと残念です。面白いのに。