そのイヤホンを外させたい

そのイヤホンを外させたい

物語を糧に生きるアラサー男子の方法序説。文芸や出版メディアの趨勢について気になったことを書いていきます。

ナンパの最終到達地点は地蔵かもしれない

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こんにちは、山中タカです。


この連休中、本など読みながらナンパについてあらためて考えていました。


前にも書きましたが、「ナンパで人生変える」という言葉もよく耳にするように、ナンパと自己啓発は切っても切れない関係性にあります。ネット上には自己啓発系ナンパ師による高額の商材やセミナーなども多く出回り活況を呈していますね。


しかし現実には話はそう単純ではありません。ナンパによって人生を好転させたいのではあれば、女性とのセックスの回数を増やすのとは別にいくつかの条件をクリアしていく必要があります。(各条件については前の記事をどうぞ)


簡単に言うと、ナンパという行為によって自身の行動範囲を広め、それまで持ち得なかった行動様式、人脈、着想を得るということです。


正直な意見を言わせてもらえば、よっぽど目的意識の高い人ならともかく、ただ異性に不自由したくないという動機でナンパを始めた男性にとって、上のような条件をクリアすることははっきり言って至難の技です。


これは、その人の立場になってみれば分かります。常に未知の領域で女性と接するよりも、いつも通りのオープナーやお店を使って口説いた方が安心だし格段にセックスできますよね。


本当に自分を引き上げてくれるかも分からない「成長」のために目の前のセックスを諦めますかという話。答えはノー。ほとんどのナンパ師がナンパに慣れれば慣れるほど声掛けからセックスまでの流れを仕組み化していきます。しかし、その効率化は社会的成功とは何ら関係がありません。


だから「ナンパで人生変える」というのは幻想であって、成功例があったとしても「その成功のプロセス別にナンパじゃなくてよかったんじゃない?」というツッコミを入れたくなるものばかりです。


じゃあ、ナンパなんかやったって何も成長できないのか?



そんなことはない、と僕は思っています。



情緒もへったくれもない出会いの形とはいえ、多くの異性と触れ合うわけですから、それなりに人間力は磨かれることでしょう。
てかそう信じたい。笑


AV監督の代々木忠さんの本に、「人には物に対する感性である「対物感性」と人に対する感性である「対人感性」があり、現代の男女は後者が足りていない人が多いんだ」みたいなことが書かれていたのですが、ナンパは正にその「対人感性」を養うのに適した活動だと思います。


でも、これも先ほどの「ナンパで人生変える」案件と同じで、ちゃんと成長するための約束事があります。それは、目の前の女性を物格化(性処理のための道具として見なす)しないこと。異性を物として扱った瞬間に「対人感性」の成長は阻まれナンパにおけるその人の人間的成長はストップします。これも、条件としてクリアするのは難易度高いです。


女性を物として見ないって思想としてはよく分かるけど、現実にはどうすりゃいいのか? 1日に何人も声掛けしてたらそうなりたくなくてもならざるをえんだろ?


正論ですね。
ちゃぶ台をひっくり返すようで恐縮ですが、だからこそナンパで成長するなんていうのはほぼ無理ゲーだと言ってもいいのです。


ただ、ナンパを通して成長はあると信じてる身としては、不完全ながらもそのための方策を示しておきたい。


女性を物格化しないためには、
目の前のその人と1対1になることです。


ナンパ用語の中に「完ソロ」という言葉があります。内輪の悪ふざけ感の強いナンパ用語の中で例外的に僕が好きな言葉です。最初から最後まで完全に一人でナンパをすることを指します。


「地蔵」という言葉もあります。こちらの方がポピュラーでしょうか。ナンパ用語の中でも僕が最も嫌いな言葉です。ストリートに出てはみたものの、ブルってしまって誰にも声を掛けれられない状態を指します。


僕が「地蔵」という言葉がなぜ嫌いかと言うと、それがいかにも男の子的サークルの中での馴れ合いの言葉だからです。


僕はナンパをしていた頃、他のナンパ師と合流して一緒にナンパすることはほとんどしなかったので、いつも「完ソロ」でした。


当時は「完ソロ」や「地蔵」という言葉すら知らなかったのですが、街で一人でナンパしてる分には「地蔵」の状態になることなんて一度もありませんでした。声かける相手が見つからなくてウロウロすることはあっても、声掛けそのものに躊躇することは皆無だった。そもそも、ナンパするためにわざわざストリートに出たのに声掛けないって意味不明ですからね。


だから、ネット上の他のナンパ師のブログを読むようになって、「地蔵しないために合流してナンパする」みたいな風潮に激しい違和感を抱いたのです。


結局、「女にビビって声掛けれなくても俺らがフォローするよ。だから一人じゃないよ」みたいなホモソーシャルな連帯感がバックにあるから「今日も地蔵です〜w」なんて平気で言えるのです。


つまり何が言いたいかと言うと、
こういう俺らvs女性みたいなスタンスでナンパしてる限り、女性と1対1の関係にはなれないということです。同じことが恋愛工学生にも言える。表現が難しいですが、男の幼稚さみたいなものを超えていかない限り先はないと思います。


ずっと一人でストイックにナンパし続けろ、とは言いません。しかし、真に異性と交流し認められたいならば、on your ownの精神は必須だと思うのです。対等な関係じゃないと心開いてくれないですし、女性って男性に比べて直感優れてるから、そういう偽善はすぐ察知しますよ。


そして、そんな単騎決戦の蓄積を地道に増やしてくと女性とセックスするしないじゃなく、性愛っていうスケールのデカい対象物の前で呆気にとられ沈黙させられてしまうような感受性が出てきて、それについて考えることの方が重要だと思えてきたりするんです。いわば、他人に依存しない真の地蔵ですよね。ふつつか者ですが、僕は現在そのような状態です。笑


てわけで、ようやくタイトルまでたどり着きました。
ナンパの究極のゴールって地蔵なんじゃね? というわりと哲学的な話でした。


それじゃ。