そのイヤホンを外させたい

そのイヤホンを外させたい

文芸好き。ラノベやWEB発の作品まで視野に入れつつ、文学または物語の趨勢について考えたことを書いていきます。

クソなる社会を肯定するには

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以前にも増してマスメディアがくだらないニュースを垂れ流すような昨今、多くの人が「この社会はクソ」というなかばあきらめの認識を持って毎日を生きているように思えてならない。


一方では、ISILの勃興やイギリスのEU離脱など、世界の安定を根本から覆すような出来事が起こっているのに、国内では不倫やセクハラなど抽象度の低い事柄にしか大衆の注目が集まらないドイヒーな状況が長らく続いている。バカバカしいので、テレビも全く見なくなった。


街でナンパなんかしてた僕のような人間がこんなところで社会の趨勢を嘆いてみてもそれこそ意味ないので、多くを書くつもりはない。


しかし、その「デフォルトのクソ」にどう対処するのかについて自分なりに考えてみることはしておきたい。


人生をいかにより良く生きるかというのは万人に共通するテーマですしね。

目次


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同化と背反


大雑把に言って、クソなる社会に対して個人がとれる態度は二通りあるだろう。


同化か背反か。


同化というのは、世の中のムードに調子を合わせることです。ネットでいう検索エンジン最適化のようなもの。


背反というのは、文字通り今ある世の中に対して背を向けるということ。


僕がSNSやリアルの人間関係を通してウォッチした限りでは、偏差値の高い優等生ほど最適化がうまい人が多く、感性重視の不器用で芸術家肌の人ほど自分を殺しきれず社会と調和できない場合が多い。


僕自身タイプとしては後者だし、周りの友人もそういう人が多い。


どちらが正解ということもないのだけど、現状、社会的な成功と知名度の獲得という意味では前者に軍配が上がると言えそうだ。

優等生の限界


偏差値の高い優等生がなぜ今のネット社会で成功しやすいかと言うと、彼らが方法論に忠実であるからだ。


受験勉強や就職活動で常に好成績をキープしてきた彼らにとって、何らかのマニュアルに沿って他人よりも結果を出すことは容易である。


そのような優等生連中に文句を言いたいわけではない。てか、アクセス数やフォロワーの少ないブログやSNSで延々と大衆批判みたいなことを繰り返している人種よりもよっぽど潔いとすら思う。綺麗事じゃ世の中は渡れないのだ。


ただ、唯一彼らに物足りなさを感じるのは、彼らが目の前にある方法論をいつまで経っても超えていこうとしないところです。年寄りの繰り言みたいで申し訳ないが、単純にお利口過ぎてつまんないのである。

マニュアル思考では世界を肯定できない


僕は小説が好きなんですけど、小説の良さって一貫して人間や世界を肯定していることにあると思う。


肯定と言っても、それは自己啓発本にあるような単純なポジティブシンキングではなく、『人間失格』みたいなネガティブな作品や、サドのように暴力的な内容の作品にもある包括的な肯定の精神のこと。


「小説は毒にも薬にもなる。でも実は毒も薬なんだよ」


って感覚だと思うのですが、マニュアル至上主義の人ってこの微妙なニュアンスが理解できないんです。利口だから。「薬」ってラベルが貼ってある瓶だけを妄信してる忠犬って感じで。身も蓋もない言い方をすれば鈍感ってこと。


ナンパについても似たようなことが言える。
ショボ腕のうちは何話していいか分かんないからネットやハウツー本に転がってる声掛けのルーティンを使うことになるし、結果を出す上ではそれが一番手っ取り早い。


でも、それをいくら続けたとしても真に満足いく女性とのラポールは築けないんです。方法論という安全圏から出て相手に対して自分の存在を開く必要がある。まぁ、世の大半のナンパ師はセックスできればそれでいいのかもしれませんが。


小説とマニュアルから脱したナンパに共通するのは、両方とも抽象度が高いってことです。抽象度の高いほど人は幸福を感じやすい。これ、マニュアルだけじゃ絶対にたどり着けない真理だと思う。


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同化ではなく擬態する


とは言え、最初からマニュアルに頼らず社会に背を向けたとしても、おそらく失敗します。


ナンパ初心者が始めのうちは声掛けのルーティンを使用して徐々に慣らしていくように、僕たちも社会で居場所を探すなら自分なりの最適化をしていく必要性はやはりある。


てすが、忘れてはならないのはそれは究極単なるフリでしかないよということです。目的と手段をはき違えてはいけません。


クソがデフォルト化している社会を生きるにあたってまず必要なのは、同化ではなく擬態の感覚ではないだろうか。世の中の空気に合わせてカメレオンのように体表の色を自由自在に変化させながらチャンスをうかがうのです。


これは、前の記事に書いた「社会に対してベタにならない」というスタンスも大いに関係することですね。



この世はクソ。


一方ではそれは事実かもしれない。


でも、その認識は自分の視点を高めることでいくらでも良い方に変えていけるはずである。


世界を肯定する哲学 (ちくま新書)

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