そのイヤホンを外させたい

そのイヤホンを外させたい

物語を糧に生きるアラサー男子の方法序説。文芸や出版メディアの趨勢について気になったことを書いていきます。

村上春樹と暮らしの哲学

まちゃひこさんが村上春樹について書いているのを読んで面白かったので書く。


自分も春樹作品好きなんだけど、人前で言うとあらぬ誤解を招きそうで大々的には公表しないでいる。



この記事で挙げられている村上春樹好きを公言することのデメリット3つに共通しているのは、「村上春樹好きです」と第三者に宣言した場合、高い確率で春樹に頭のてっぺんから足のつま先まで心酔している信者、いわゆる「ハルキスト」であると認定されてしまうことに対する嫌悪感であると思う。


この世には、春樹以外にも読んでぶったまげるほど面白い小説家が多くいる。

その事実を踏まえた上で、「ねじまき鳥クロニクル」、「海辺のカフカ」、「1Q84」などの代表作を世界に通用する作品として自分は評価し、「村上春樹が好きです」と言っているのだ。なのに、他人は分かってくれない。

「あ~」

なんていう肯定とも否定とも取れない微妙なリアクションをして、僕という人間をあらかじめ用意されていたカテゴリーの中に苦もなく放り込む。


傍から見たら何でもないやりとりに映るかもしれないが、僕個人からすると、なんていうか、ちょっと屈辱なんすよ。自分の小説観がミニマムに受け取られた気がしてさ。気にし過ぎだろうか。


春樹好きには2種類の人がいる気がする。
作家としての春樹が好きか、もしくは生活人としての春樹が好きか。


もちろん、両者を明確に区別することはできないが、春樹がノーベル文学賞候補に挙がる度にワイドショーのインタビューに出てくるような人。一般的に「ハルキスト」と呼ばれる人の多くは後者だと思う。


純文学にカテゴライズされるであろう春樹の作品が、他のエンターテイメント小説を差し置いてこれほどまでに大衆に支持されるのは、彼の作品には万人を魅了する「良き生活」のようなものがあるからである。それは、「暮らしの哲学」と言い換えてもいい。


エッセイなどを読んでいるとよく分かるのだが、春樹は己のスタンスをことあるごとに表明せずにはいられない自己語り、自己定義の実に多い作家である。偏執的と言ってもいいくらいに。


「多くの人々にとっては普通ではないことかもしれないけれど僕自身はこれまでずっとそのようにやってきてそれしかできないのだからまぁ大目に見てください」


このような自己弁護がたくさん出てくる。春樹にとっては不名誉な話かもしれないが、彼の作品がヤリチンに好かれるのは、そのような言い訳の上手さに起因するのかもしれない。


生活人としての春樹とそのフォロワーを語ろうとすると、どうもディスってしまう。同族嫌悪に近いものがある。やはり自分は「ハルキスト」なのかもしれない。


もうこの際どちらでもいいけれど、個人的に「ハルキスト」が絶対チョイスしないだろうなっていう春樹の本を薦めて終わろうと思う。


若い読者のための短編小説案内 (文春文庫)

若い読者のための短編小説案内 (文春文庫)



物語の作り手でも、上に書いたような生活人でもない、卓越した読み手としての村上春樹の実力が窺える1冊。


ここに取り上げられているのは、日本文学史の中で「第三の新人」と呼ばれる一連の作家である。


コテコテの純文といえども、いざ読んでみると春樹自身の作品と似ている部分もあり、面白いのではないかと思う。


それじゃ。