そのイヤホンを外させたい

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そのイヤホンを外させたい

アラサー文系男子のピカレスク・ログ

100冊の自己啓発本よりも生きる糧になる1冊ー太宰治『斜陽』

小説 読書


フリーター時代、同僚にライトノベル作家を目指してる奴がいた。


「なんでわざわざ暗い話を書くのか、それがよくわからないんすよねー」


彼はいわゆる純文学というものに理解がなく、新人賞受賞を目指して虚淵玄の劣化版みたいな作品を書いていた。


当時のおれは、好きな文学に対する無神経な嘲りに反発を覚えると同時に、彼の意見がもっともだと感じてもいた。


その後、24の歳で遅ればせながら会社に就職し、調子に乗ったおれはナンパをするようになった。


こっちが本業と言ってもいいほどクソ真面目に取り組んだ。ライバルの多い金曜日以外は毎日街に出て声掛けをしていた。


他のナンパ師との合流はしたことがない。一緒にやらないと怖くて声掛けれないとか意味不明だし、第一相手の女性は一人なのにこっちが徒党を組むなんてフェアじゃない。それは、結局非モテ時代の女々しい態度と同じじゃないか。そう思って、一人黙々と街を徘徊していた。おかげで、「完ソロ」という言葉が好きになった。


とは言え、twitterやブログで同業者の活動をのぞき見ることはしていた。


ほとんどのナンパ師に共通して言えるのは、結果が出れば出るほど自己啓発的な方面へ進んでいくということだ。


経験人数が増えれば増えるほど、自分のことしか視野に入らなくなっていく。
ナンパで男磨きして出世するとか、起業するとか、わりとどうでもいいことを延々と言ってる。それって単なるオナニーの延長じゃないのか?


おれ自身がナンパを通じて知ったのは、そんな健全な上昇志向ではなく、もっと刹那的で、暗く、時にみぞおちを突かれるような相手の表情とか言葉とか空間のやり取りだったような気がする。


それは、はた目には何の得にも映らないことだけれど、確かに今の自分の土台になっていると思う。



太宰治『斜陽』は、戦争で没落貴族となった家族それぞれの破滅の形を描いた物語だ。


本作は、終始暗く希望のない話であるにも関わらず、読んでいると、なぜだか生きる勇気のようなものがふつふつと湧いてくる。なぜだろう?


本作のストーリーを簡単に言い表せば、それは転落と破滅ということになる。
しかし、そこに描かれる人物の心情や立ち居振る舞いには、運命に敗北する人間とは思えないほどの生のエネルギーと飛翔の予感がある。


「最後の貴婦人」として鮮烈な印象を子供たちの目に焼き付けて没する母。
「恋と革命」のために生きるかず子。
高潔な思想を胸に秘めながらも、弱さと純真さゆえに麻薬で自分を痛めつけることしかできない直治。
作者本人を投影した作家上原。


この4人の織りなす滅びの美意識に、自分は真実の人生を感じずにはいられない。


「何でわざわざ暗い話を読むの?」


おぼつかない足取りで、何度も後ろを振り返りながら、それでも一歩ずつ進む。そんな健全さもあるから。


楽はしない、と思った。


斜陽 (新潮文庫)

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