そのイヤホンを外させたい

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物語を糧に生きるアラサー男子の方法序説。文芸や出版メディアの趨勢について気になったことを書いていきます。

あいまいな日本の“文学”/さやわか『文学の読み方』

文学の読み方 (星海社新書)

文学の読み方 (星海社新書)


さやわか『文学の読み方』を読んだ。


さやわかさんの本を読むのはこれが初めて。
ゲームとかアイドルとか秋葉カルチャーについての評論を書く方だと思っていたので、「文学の読み方」なんて直球なタイトルがまず何よりも意外でした。

内容は、明治時代の坪内逍遙小説神髄』に始まり、現代の又吉直樹『火花』に至るまでのわが国の文学史を総括しつつ、皆が知ってるようでいて実は何も知らないでいる“文学”について、独自の視点で再定義を試みている。キーワードは「錯覚」だ。


最初からあいまいだった“文学”の定義


著者によると、日本文学における「錯覚」には2つの種類がある。

1.「文学とは、人の心を描くものである」

2.「文学とは、ありのままの現実を描くものである」


これは『小説神髄』の中の、

小説の首脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ


という文章に沿った定義であり、現代の純文学もこの考えを前提として書かれている。

だが、『小説神髄』出版当時の時代背景に改めて目を向けると、それが、明治維新を経て西洋の価値観や文化に追いつくための急ごしらえの定義であったことが分かってくる。


わが国の“文学”はその誕生時点からあいまいな代物だった。
言うなれば、日本文学史とは、徹頭徹尾この「あいまいさ」に振り回され続けた文字通り「文学的迷走」の記録とも呼べる。

芥川龍之介と純粋小説


“文学”は「人の心を描くもの」ではないし、また「ありのままの現実を描くもの」でもない。

さらに、“文学”に具体的な意味はなく、せいぜい大衆的なものと区別するための権威を担保するための言葉に過ぎない。

文学が権威を保つには、大衆と同化するわけにはいかないということになります。かといって、もはや大衆社会から離れて存在できるわけでもない。大衆社会の中にありつつ、それとは相容れずに、確固とした実体を持つかのように錯覚されているもの。それが文学なのです。p135


では、小説家は何を指標として作品を書くべきなのか。

その問いの答えとして、芥川龍之介が晩年に残した「文芸的な、余りに文芸的な」という文章に著者は注目する。

その中で、芥川はストーリーのない詩に近い小説を純粋な小説として奨励しているのだが、著者はこの「純粋小説」という概念こそ、ヒントになり得るのではないかと主張する。


村上春樹村上龍といった現代日本文学の作家は、「ありのままの現実を描くことは不可能」という前提に立った上で、あえて虚構そのものを描くことによって読者に「リアル」を感じさせる作品を生み出すことに成功している。

だから「錯覚」を描くことを恐れず、それにこだわり続けることによって今後の“文学”の可能性は切り拓かれるはずだ、というのが本書の結論だ。


冬の時代


芥川龍之介がもし現代に生きていたら、きっとライトノベル作家になっていただろう」

というif論を以前どこかで読んだこともあったので、純粋小説の概念と現代の「なろう系小説」を結びつけた発想は、なるほどなぁと感じました。(純粋小説については正直拡大解釈かなとも感じましたが…)

たぶん、さやわかさんは「文学はいい加減なもの。だから良い」ってことが伝えたくて本書の筆を執ったのだと想像します。

確かに、小説家が「錯覚」を自覚し、虚構を通して読者に現実の地平を再認識させるような作品を生み出すことができれば、新たな文芸シーンが生まれるに違いない。


でも、その一方で「そういうことは起こらないだろうなぁ」というあきらめに近い感情があることもまた事実です。


本書は、大塚英志の『キャラクター小説の作り方』、東浩紀ゲーム的リアリズムの誕生』という2つのラノベ論の流れを汲んだ内容になっていると思うので、前の2冊がそうであったように、今後、本書の主張に沿うような表現形式を持った作品が登場する可能性は高いだろう。



でもね、これはあくまでも超個人的な感覚なんだけど、それじゃダメだと思うのです。


批評家の頭脳が作家と作品を先行している限り、いかに優等生的な上手な作品を書こうとも、今の消費社会の中ではブレイクしてから半年くらいで消えるお笑い芸人よろしく大衆の欲望に絡め取られて使い捨てにされてしまうから。

加えて、作家自身の器量も問題意識も手遅れなほど卑俗化してしまった感が否めないので、しばらくは冬の時代は続くのではないだろうか。


なんだかネガティヴ思考で申し訳ないのだけど、ゼロ年代から10年代は肩すかしを食らってばかりだったので、安易に信用しないようになっています(もちろん、良い作家もたくさん出たけれどね)。


とか言いつつも、心のどこかでこの停滞を切り裂くセルバンテス級の作家の出現を待ち望んでいたりします。『響〜小説家になる方法〜』みたいな話ではありますが。可能性としてはゼロじゃないし、小説好きは程度の差こそあれみんなそうでしょ。


あいまいな日本の私 (岩波新書)

あいまいな日本の私 (岩波新書)