年収280万の独身アラサー男子が「タラレバ娘」から読み取るべきこと。
ついに放送がスタートしたTVドラマ『東京タラレバ娘』。
ドラマ化を機に世間的認知度も高まり、職場やプライベートで本作の話題が上がることが多いです。
自分も原作と比較検討しながら楽しく観させて頂きました。
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「物足りない」という意見もチラホラあるようですが、個人的には悪くなかったかなと。原作のイメージをぶち壊さないための配慮が行き届いた演出だったと思います。
倫子が早坂にフラれるシーンで彼女の胸に矢が突き刺さる演出は、最初『アリーmyラブ』のパクリやんけ! と思ったのですが、原作確認するとコマ小さいながらちゃんと描いてあります。
意図的なものかは知りませんが、ある程度の社会的地位はあるものの男運には一向に恵まれないアラサー女子の困難な恋愛を描く点では、「タラレバ娘」には「アリー」のDNAが流れていると言えるかもしれません。
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作品の中に自分を見出せない問題
ドラマを観てつくづく感じたのは、「タラレバ娘」の世界って自分のような低スペックのサラリーマンにはあんま関係ないよなってことです。俺、年収280万くらいだし。
物語のどこを見ても自分を見出せない。圧倒的お呼びじゃない感に不覚にも傷ついてしまった男性はわりと多いのではないかと思う。『闇金ウシジマくん』を読むのとは別の意味でソワソワする。
だから、「自業自得」「ざまぁみろ」など、本作に対して辛辣な男性読者の意見が多く寄せられるのもうなずけます。
倫子たちタラレバ3人娘の恋の相手として話題にのぼる男性は、商社やテレビのプロデューサー、ミュージシャンなど社会的地位の高い男性ばかりです。
「年も年だし贅沢はしないから結婚相手が欲しい」と口では言いつつも、実際には男性に多くを望み過ぎているタラレバ娘たちの二枚舌に、女性の地位向上を声高に叫びながら、そのくせ都合の悪い部分では旧時代的な価値観や風習に迎合して「いいとこ取り」をしようとする女性の身勝手さを感じます。
「タラレバ娘」がこれほどまでに人気を博したのは、婚活に悪戦苦闘する主人公たちの姿が独身アラサー女子の共感を呼んだことに加えて、彼女らの物質主義的な「ものさし」を心良く思っていなかった男性たちのミソジニー(女性嫌悪)の感情を掻き立てることに成功したからではないでしょうか。
相手にとって「糟糠の妻/夫」であること
でもまぁ、だからと言って男と女どっちが悪いという話ではないです。本作に登場する男性陣は、それが全体の中のごく一部とは言え、なかなかのクズっぷりを発揮していますから。
タラレバ3人娘にしたって、女性全体で考えれば少数派じゃないかと。
あくまでも僕個人の経験ですが、30過ぎてこれほどまで自分本位な恋愛観、結婚観を持ってる女性は稀だと思います。恋愛市場価値の高い20代の内ならまだしも、30過ぎると自分がそれまで「若さ」だけでチヤホヤされていた現実をいやというほど味わうらしい。
一周まわって悟ったような人が多い印象があります。結婚観を訊いても、「一人が倒れたらもう一人がカバーする。そんな夫婦関係でいい」なんて糟糠の妻みたいなことを言ったりしてね。もちろん、現代では糟糠の夫も必要とされるのは言うまでもありませんが。
単純な労働力の増加と生活の負担の分散を目的とした結婚。さっぱりしてはいるけれど、どちらか一方に寄りかかって自分が楽しようとするよりはよっぽど健全な気がします。
幻想としての東京オリンピック
なんだか、書けば書くほどアンチタラレバの色合いが濃くなってきました。
でも、作中に等身大の自分が描かれていないにも関わらず、僕はタラレバ3人娘の迷走に共感する部分もなくはないのです。
よりラブコメチックに傾いてきた最新7巻のKEYくんの台詞にこんなのがあります。
僕はあてのない未来に身を委ねてるヤツらに腹が立つんですよ
タラレバ3人娘には、「自分は次の東京オリンピックまでに結婚して幸せになりたい」という強い願望が共通してあります。
さらに、倫子が仕事場として借りているヴィラ・オリンピアという名前のマンションは、前回の東京オリンピックの際に建てられた築50年以上の老朽化したマンションです。
僕は「オリンピックまでには〜していたい」という目標設定のあり方に、本作の批評性があるように思います。
そもそも、オリンピックを一人身ではなく結婚した誰かのそばで迎えることができれば自分は幸せだと考える根拠はどこにあるのでしょうか?
当たり前の話ですが、次のオリンピックはかつてのオリンピックとは全くの別物です。この日本にしたって、かつての高度経済成長の時期とは違って現在は多くの点で問題を抱えています。まるで老朽化したマンションのように。
それでも、オリンピックという仮のゴールを設定してハリボテの幸福を求めずにはいられない。そんなタラレバ3人娘の姿に、男女論や恋愛ゲームの先にある今の日本人そのものに対する問題提起があるように僕は思います。
それでは、また。
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