そのイヤホンを外させたい

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文芸好き。ラノベやWEB発の作品まで視野に入れつつ、文学または物語の趨勢について考えたことを書いていきます。

曼荼羅のように艶めかしく美しい仏教漫画『阿吽』の感想

今日はおかざき真里『阿吽』の感想。


「阿吽(あうん)の呼吸」の“阿吽”がもともと仏教用語だということをはじめて知った。


“阿吽”には、宇宙のはじまりと終わりという意味がある。


圧倒的画力

『阿吽』は、日本仏教史上の二人の大天才、最澄空海を主人公にした仏教漫画だ。

作者にとっては新境地開拓ということらしい。

自分は作者の過去作品を読んだことはないのだけど、恋愛漫画をメインに書かれていた方みたいですね。ガラリと題材変えてきたなぁ。

でも、その方向転換正解だったと思う。

美しい。

少女漫画風な絵のタッチと仏教的な世界観が意外なくらいにマッチしていて、平安時代の妖しげな雰囲気がよく出ている。

密教曼荼羅を思わせる艶かしい画風です。

似た者同士の最澄空海

日本人の教科書を注意して読めば、最澄(767年〜822年)と空海(774年〜835年)の生きた時代が重なっていること、二人が同じ遣唐使船に乗って海を渡ったという歴史的事実を容易に知ることができる。

作者はその教科書的な知識から想像力の翼を広げて、血の通った人間としての最澄空海を活写している。

一見、二人の天才は対照的で共通点はないように感じられる。だが、自身の追い求める真理が既存の日本仏教の中ではなく、海を渡った先にしか存在しないと直感を働かせていた点で二人は似た者同士、まさに阿吽の呼吸をしていた。

自分は仏教にそれほど詳しくないですが、仏教家の良し悪しは、つまるところブッダの言葉をどれだけ広く深いところで解釈できるかで決まるんじゃないかと思ったりします。

最澄空海は共に万巻の書を読んで誰よりも頭に知識を詰め込んだ知識人です。ですが、彼らが宗教家として優れていたのは、知識をそのまま鵜呑みにせずに、そこに自分なりの解釈と経験から得た気づきを付け加えることで、より高次の知恵を生み出す才能があったからではないでしょうか。

本作はあくまでも漫画なので歴史的事実と異なる点も多いですが、実人生を通じて自身の仏教観、宇宙観を練り上げていく宗教家の苦闘を物語を楽しみながら知ることができるので、仏教入門書としておすすめです。

ちなみに、自分は実家がたまたま真言宗豊山派ということで空海に前々から興味があります。

師の代表作『秘蔵宝鑰』も前に読んだ。
角川ソフィア文庫版はとても分かりやすい訳で空海の言葉が頭にスッと入ってきます。

その時書いた記事はこちら。


空海について書いたもので他に分かりやすかったのは、苫米地英人さんの『超訳 空海』ですかね。

超訳 空海 (PHP文庫)

超訳 空海 (PHP文庫)


空海の思想の基本をおさえると同時に、著者らしい新解釈を展開しているのが楽しい1冊です。

自分がこの本で気に入ってるのは、空海の代表的な言葉が50個ほど収録されていることです。

その中から個人的に好きなのを1個引用して今日は終わります。下が訳です。

哀しい哉、哀しい哉、哀が中の哀なり。悲しい哉、悲しい哉、悲が中の悲なり。覚の朝には夢虎無く、悟な日には幻象無しと云うと雖も、然れども猶夢夜の別、不覚の涙に忍びず。

哀しくて、哀しくって。言葉で言い表せないほど、哀しくて、哀しい。
悲しくて、悲しくって。心で表し尽くせないほど、悲しくて、悲しい。
悟りを開けば、何ものにも惑わされないというけれど、現実に愛する人との別れには、涙を流さずにはいられなかったのです。

超訳 空海』p183より引用
原典は『遍照発揮性霊集 巻第八』


それでは、また。