そのイヤホンを外させたい

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そのイヤホンを外させたい

アラサー文系男子のピカレスク・ログ

甘美なる歌声は邪魔しない。/鹿島茂『「悪知恵」のすすめ』

読書 文学

こんにちは山中です。

トランプ大統領による外国人入国制限のニュースがメディアを騒がせていますね。
悪い意味で期待を裏切らないというか、今回の出来事をきっかけにこの先ますます世界情勢は泥沼化していくでしょう。

今回の話題含め、外交問題に関する記事を読んでいると、各国の首脳を童話の登場人物に見立てて皮肉ったものをたまに見かけます。

どうやら人種や宗教の問題が絡んでくればくるほど、こうした風刺的な報道が多くなるみたいです。

イギリスの風刺漫画雑誌『パンチ』掲載、グレート・ゲームの風刺画。

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熊(ロシア)とライオン(イギリス)に狙われたアフガニスタン。(Wikipediaより引用)


スウィフトの『ガリヴァー旅行記』なんかを読んでも分かるように、寓話というのは数ある物語のジャンルの中でも、最も生の現実に接近したタフな表現形式と言えます。


てなわけで、今日は寓話の魅力について書かれた本を紹介します。

鹿島茂『悪知恵のすすめ』。
サブタイトルは、「ラ・フォンテーヌの寓話に学ぶ処世訓」です。

ラ・フォンテーヌの寓話について

ラ・フォンテーヌの寓話を知っていますか?
自分は名前は聞いたことはあったものの、本書を手にするまでその内容を知りませんでした。

ラ・フォンテーヌは17世紀フランスの詩人で、『イソップ寓話』をもとにした寓話詩を書きました。

著者の鹿島茂さんは本書の冒頭で、フランス文学を研究している人間でもラ・フォンテーヌの寓話を読む人はあまりいないと言っています。

僕自身も本好きの友人が何人かいますが、話題にあがったことは一度もないですね。フランス文学でなおかつ寓話詩っていうとなんとなく甘ったるいイメージを抱きがちで、それほど興味をそそられませんでした。

しかし、実際の作品は自分が勝手に抱いていたイメージとは180度異なります。鹿島さんの言葉を借りれば、「その冷徹ぶりたるや、マキャベリの『君主論』にだって負けない」というのです。なんだかゾクゾクしませんか? 自分はこういうの大好きです。

フランス的とはなにか

本書で紹介されている寓話には、変化の激しい時代を生き抜くためのしたたかな知恵が数多く詰まっていますが、著者いわく、その全てに一貫して流れているのは世界のどこにも類例のないフランス的なメンタリティーです。

一言で要約するなら、それは負け惜しみの美学のようなもの。

本書の冒頭に載っている例をもとに説明します。

イソップ童話』に「キツネとブドウ」というそこそこ有名な話があります。

腹を空かせたキツネが支柱から垂れ下がるブドウを見て取ってやろうと思ったがどうやっても手が届かない。あきらめたキツネは去り際に一言。「あのブドウはまだ熟れていない」。


能力のない人間はできない理由を自分以外に求める。

自己啓発書なんかでよく引き合いに出されるポピュラーな教訓です。

ラ・フォンテーヌの寓話にも同じ話があるそうです。しかし、そこから得られる教訓はイソップのそれと全く異なる。

ラ・フォンテーヌの寓話のキツネは、手の届かないブドウに対して「あれはまだ青すぎる。下郎の食うものだ」と捨て台詞を残します。反応としてはイソップのキツネとほぼ同じです。

が、ラ・フォンテーヌはキツネの負け惜しみを「愚痴をこぼすよりまし」として高く評価しているのです。

欲しいものが手に入らずにもんもんとするくらいなら、「そんなものいるか」と言って小馬鹿にした方が健康的だという考え方。これがフランス流。

見方によってはただ虚勢を張っているようにしか映りませんが、こういう合理的なズルさこそ、リーダーシップや勤勉さ以上に土壇場で自分を救う力になると思います。嫌味じゃない感じでさらっと言えると強いですよね。

白鳥の歌声とガチョウのスープ

最後に、自分好みの寓話を一つ紹介します。


「白鳥と料理人」の話

大邸宅の一角にある飼育園で白鳥とガチョウが暮らしていた。
白鳥は池を優雅に泳いで主人や招待客の目を楽しませた。
ガチョウは、その滋味豊かな肉を主人や招待客に提供していた。
ある日、酔っ払った邸宅の料理人が、てっきりガチョウだと思い込んで白鳥のくびを掴んだ。くびをしめて今夜のスープに入れるつもりである。
白鳥が、美しい声を発して嘆きを訴えたところ、料理人は間違いを悟って手を離した。

この話の最後にラ・フォンテーヌがつけた教訓。

たとえ、重大な危険が迫っているときであろうとも、甘美なる歌声は決して邪魔にはならないのだ。

国の緊急時には芸術は腹の足しにならない最たるものとして見向きもされなくなるのが常だけれど、しかしそんな時でも、いや、そんな時だからこそ、普段すぐに役に立たないものが役に立つこともあるのだ、という戒めです。

文学部を卒業した身にとって、この白鳥の歌の話はなかなか刺さるものがあります。

作り手と受け手どちらにせよ、芸術に関わる人間は自分がやっていることのあまりの実益のなさを嘆いた経験が多かれ少なかれあるのではないでしょうか。

自分もつい最近までしょっちゅう嘆いていました。
「おれはどうして文学部なんて出ちゃったんだろ。会社で役立たない知識ばかり中途半端に詰め込んで一体この先どうなるんだ?」なんて。芸術全般を恨んだ時期もあった。

今もその不安は変わらずあります。でもここにきてようやく、なんの役にも立たないと思っていたものこそ実は水面下で自分を支え続けてくれていたことに気づかされました。

過去の自分は話の中の料理人のように、白鳥をガチョウと勘違いしてくびをしめていただけだったんです。

そんな意味で、この「白鳥と料理人」の寓話の教訓は、ここ最近の自分の心持ちに近いものがあるなぁとうれしく感じたのでした。


それでは。

寓話〈上〉 (岩波文庫)

寓話〈上〉 (岩波文庫)