そのイヤホンを外させたい

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文芸好き。ラノベやWEB発の作品まで視野に入れつつ、文学または物語の趨勢について考えたことを書いていきます。

ストロングセンスオブヒューマーのある小説家/ジェーン・オースティン『自負と偏見』

自負と偏見 (新潮文庫)

自負と偏見 (新潮文庫)


ジェーン・オースティンの作品を好んで読む男性は多くはないだろう。


自分も学生の時に『自負と偏見』を試しに読んでみて、「これは男の読みものではない」と中途で放り出した記憶がある。


オースティンの小説は、当時イギリス社会においてまだ地位の低かった女性の恋愛と結婚を題材にしたものばかりだし、ドストエフスキーの作品のように「人生いかにして生きるべきか」を問うような重厚な文学とは程遠いので、オースティンの作品を敬遠する男性読者が多いのも仕方のない話だ。


しかし、今回あらためて『自負と偏見』を読んでみて自分の過去の評価が間違っていたことを知りました。昔「読めない」と感じたことは確かだけれど、どうしてこの面白さに気づかなかったかと今は不思議に感じられる。


サマセット・モームが『世界の十大小説』の中で、本作を「大した事件が起こるわけでもないのに、ページをめくる手が止まらなくなる」と絶賛しているらしいのだが、まさに同感だ。


月並みな言葉だけれど、「100パーセントの小説家」という形容はオースティンにこそふさわしいと思う。作者の優れた人間観察力に裏打ちされたエスプリの効いた楽しい小説である。


登場人物間の軽妙なやり取りを巧みな筆致で余すところなく描いている一方で、「これは女性だから書けるな」と思わせる情感に根ざした場面も少なくない。かと言って深刻にもならず、凡庸な女性作家のように感受性に振り回されることもない。少し離れた位置から無邪気な哲学者のように事の成り行きを眺めている。


的確、自由奔放な人物描写の冴えに加えて、オースティンは作品構成力も申し分ない。
妹の駆け落ちを別にすればこれといって大きな事件が起こらないにも関わらず、読者をグイグイと最後まで引っ張っていく無駄のないストーリーテリングは作家志望のお手本のようだ。現に、本作を映像化した作品も原作のプロットのまま面白いものになっていた。


オースティンは21歳の時に『初印象』という作品を書き上げ、10年以上後にそれを元にして本作を完成させたとのことだから、構成については納得いくまで練りに練ったのではないかと思う。


IBCパブリッシングが出しているラダーシリーズという英文リーダーのシリーズがある。


これは普通のペーパーバックを読むよりも少ない語彙力と文法力で過去の名作を読むことのできるシリーズで、自分は以前英語の勉強がてら本作の簡易英語版をパラパラと読んでいたことがあった。その中に、エリザベスの性格について触れている箇所があった。


She had a lively, playful mind and a strong sense of humor.


これは簡易版なので原文にはないのかもしれませんが、自分はこの“strong sense of humor”(ストロングセンスオブヒューマー)というのは言い得て妙だなと感じたのです。


オースティンの小説世界を一言で表現するとすれば、それは「ストロングセンスオブヒューマー」ということになると思う。そして、文学にしかない“何か”を考えた時に頭に浮かぶのもやはり「ストロングセンスオブヒューマー」だ。それはお笑い芸人がやってるような単純なユーモアの類ではない。


僕は、エリザベスが病気の姉ジェーンのために悪天候の中、足を泥だらけにして歩いていく場面がとても好きだ。読んでてゆきずりの優しさに触れたような何とも言えない気持ちになる。


「ストロングセンスオブヒューマー」という言葉は、そのような良い小説を読んだ時の説明し難い胸の高まりを形容してくれているような気がします。


また、僕は男なのでダーシー含め男性の登場人物に思い入れがあるのですが、中でもエリザベスの父親であるミスターベネットの人物造形は魅力的に感じる。


エリザベスの頭の良さというのは十中八九この父親からの遺伝であり、彼は資産家ではないにしろ社会的には成功している一家の大黒柱なのだが、彼の唯一の誤算、というか不運は、ミセスベネットという頭の悪いドイヒーな女性と夫婦になったことです。


とはいえ、それは今更どうこうできる問題ではないので、ミスターベネットは家族の愚かさに起因するあらゆる小事件について積極的に関わろうとはせず、常に悟りを開いたような姿勢を保っている。


そんな彼のエリザベスに対するアドバイスが飄々としていて面白い。


俗物コリンズのプロポーズをエリザベスが拒んだ際、親の期待を台無しにした彼女に対し、おとなしくコリンズと結婚しなければ親子の縁を切ると憤る母親とは反対に、コリンズと結婚するなら今度は自分が娘と親子の縁を切ると言ってのけた後、驚く母親に向かって、

「まあまあ、お前、わたしはね、二つばかりお前にお願いがあるんだが。一つはだね、わたしとしても、この際自由に考えさせてもらいたいということ。それからもう一つはね、やはりこれもわたしの部屋を自由に使わせてもらいたいということ。つまりね、一刻も早く、この書斎でひとりきりにさせてもらえればありがたい、ということなんだよ」(p180より引用)


なんて他人事のようなことを言ってのける彼に、愛着を感じずにはいられなかった。


男女分け隔てなく楽しめる作品なので、まだの方はぜひ。


それでは今日はこれで。


*文庫で読む場合、自分は中野好夫さんの翻訳をオススメします。非常に読みやすくオースティンの自由奔放な筆致の感じもよく出ている名訳です。