そのイヤホンを外させたい

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剣という病に憑かれた二人の男を描く爽快作/藤沢周『武曲』

武曲 (文春文庫)

武曲 (文春文庫)


「諸手突きで自らの中心を貫いてみろッ。殺せッ」 p7


アルコール依存症で失職の末、警備員の仕事をしながら地元の高校の剣道部コーチを務める矢田部研吾。彼の夢にたびたび出現する老い父親の一喝は、物語の中で彼ともう一人の主人公である高校生、羽田融が追い求める剣の境地を鋭く言い当てている。


相手の中に自分の中心を定め、それを断ち斬ること。


矢田部研吾はかつて殺人剣の使い手として恐れられた父将造と木剣での果し合いの末に彼を植物状態に追いやる。このエピソードが端的に物語るように、本作において描かれる剣はたとえそれが竹刀や木剣であっても例外なく真剣を意味する。

生きるためには何の必要もない代物で、せいぜいが護身術的な武道や格闘技のうち、最も実践から遠いものだと思われているのが一般的だろう。素人には理解が難しいというよりも、すでに剣道は病いなのだ。魔物なのだ。その病いに罹らなければ、腸を引き裂かれるような苦痛も、葉のほんの一揺れに世界の成り立ちを覚える甘美さも、伝わらない。剣を持ったがゆえに、世界に対してコンプレックスを抱え続けてしまうのだ。 p284


剣を握った上での一挙手一投足と内面の揺れ動きが、すぐさま自分と相手の命のやり取りに直結する。そのような現代に全くそぐわない感覚の渦中に自身の本来性を見出してしまった二人の男の転倒と覚醒の様子が本作の味わいだ。青春小説としての枠組みを取りながらも、単なるスポ根小説で終わらないところが藤沢周らしい。


思わぬきっかけから剣道にのめり込んでいく羽田融はヒップホップが好きなミュージシャン志望の青年で、キャンパスノートにお気に入りの言葉群を書き留めている。そんな彼のストックに「滴水滴凍」、「守破離」、「気剣体」、「殺人剣活人剣」、「懸待一致」、「一打絶命」などという異界の言葉が侵入してくる時、彼は剣道部の他の誰よりも真摯に言葉の意味とそれが形作る観念の世界に向き合うことになる。


一級への昇級試験を受けることになった際、融は筆記試験の模範解答にある剣道修練の心構えの中の「国家社会を愛して、広く人類の平和繁栄に寄与せんとするものである」という一節に違和感を持つ。彼はクラスメイトで剣道部部長である白川にその旨を問うが、試験なんだからそのまま覚えて答えればいいと相手にされない。


理は融の側にある。しかし、現代社会の中で既に規格化された剣道の中で彼の考える道は「否」と拒絶されてしまう。


これは僕自身、実社会で似たような経験をしたことがたびたびある。なんだよその物分かりの良さ? 国家とか平和とか人類愛とか吹けば飛ぶようなハリボテの物語にたやすく回収されてんじゃねぇよ…って。だが、違和感を口にすると周囲から面倒な奴、イタい奴と見なされるため大体においては自分の中にとどめて済ませてしまうが…それでも気色悪いもんはやっぱり気色悪い。


融の疑問に無関係を装う白川とは反対に、剣道なんて全く知らない音楽仲間の石崎は、その模範解答にはっきりとした嫌悪感を表明する。

「……俺、羽田がこのまま書くとしたら……、羽田と絶交だわ」
予想もしなかった石崎の言葉に、融も花沢も思わず視線を上げた。石崎はいつもの能天気な表情を落として、冷めた眼差しを筆記問題の紙に投げていた。
「この……国家社会ってやつ? 寄与ってやつ? 俺は国とか社会とかに役に立つ人材? みたいな貧しさは、嫌だ」 p385


それまでノーマークだった石崎という脇役が唐突に上のようなことを言うのだからびっくりする。リアリティを感じた。国家とか平和ってベタに語ろうとすると言ってる側が途端にチープになるから。


藤沢周の小説はこれまで芥川賞を受賞した『ブエノスアイレス午前零時』と『雨月』を読んだが、自分的にはハズレがない。文学的な触感を堅守した上で一般にも受け入れやすい物語を紡いでいるところが好きだ。


物語自体はラブホテルの話とか葬儀屋の話とかわりと俗っぽいパルプフィクションみたいな話が多いのだけれど、文学作品と同様の読後感がある。


話の内容よりもそれをどう文章で表現するか。物語の類型が出揃った現代においては大事な考え方であるように思う。