そのイヤホンを外させたい

不屈の作家と共に過ごしたかけがえのない日々/大西美智子『大西巨人と六十五年』

 

大西巨人と六十五年

大西巨人と六十五年

 

今から約4年前、2014年3月にこの世を去った作家大西巨人

本書は巨人の愛妻大西美智子による回想録である。

大西巨人と言えば、戦後25年の歳月を費やして書かれた長編小説『神聖喜劇』が有名だが、僕にとって本作は人生の中で特別な小説ベスト5に間違いなく入っています。この小説を読んだことは単なる読書を超えて精神的な事件に近かった。  

神聖喜劇〈第1巻〉 (光文社文庫)

神聖喜劇〈第1巻〉 (光文社文庫)

 

 『神聖喜劇』はじめ巨人の書いた小説や批評文に共通するのは、いかなる妥協も良しとしない作家としてのストイックな精神のあり方が硬質な文体の中に満ち満ちていることだ。

僕のような軟派な読者は氏の文章を読んで時に勇気づけられたり、それとは逆に自身のごまかしを指摘、糾弾されたような気がして少し息苦しくなったりもする。僕にとって大西巨人は、憧れではあるけれど眩し過ぎるような存在としてある。

本書の中に描かれる美智子夫人の目を通した巨人は、読者が作品から得たイメージ通りの清潔で論理的で偽善やごまかしを嫌うあの巨人である。

夫婦はお互いに信頼し合う。真実でくらすことが大切。気になることがあれば即刻解決する。根に持たない。
夫婦生活は神聖な行為だから、七十になっても八十になってもなおざりにしてはいけない。
(p50より引用)
気になることがあったら些細なことでもすぐ言葉に出して解決し、根にもつことはしない、いかなる時も信頼し合える夫婦でなくてはいけない。
(p98より引用)

普通の夫だったら恥ずかしくて口にできないような理想の夫婦像だが、巨人のすごいところはそれを敢えて口にし、その実現のための徹底的な努力を怠らないことである。この心掛けは夫婦生活のみならず仕事の面でも変わらない。

「今後勤めることはしない。執筆に集中する。必ずいい小説を書く、おれにしか書けない作を書く」(p101より引用)

宣言し、それを不屈の精神で実行した。

巨人の作品を読んでいて、それが純文学にも関わらず元気が湧いてきたり勇気づけられたり尻を叩かれたような気持ちにさせられるのは、作品の登場人物またはその背後にいる作者が強い意志力と才気を持って実現困難な諸問題と全力で格闘する様が描かれているからだと思う。

「お花畑」という言葉がある。理想ばかりで現実を顧みない考え方を揶揄する言葉で、そのような考えの持ち主は周囲から「おめでたい奴」と嘲笑される。

しかし、真に「おめでたい」のは理想と現実果たしてどちらだろうか。今ここの現実にこそ人間性を否定しそれを抹殺するような「お花畑」思想ないしは「おめでたさ」が蔓延っているからこそ、理想を語り、たとえそれが非現実的、達成困難な課題であっても実現のために尽力する精神を獲得することが必要なのではないか。

本書を通じて、大西巨人の小説が自分にどのような視点、視野をもたらしてくれたのか再認識することができた気がする。

美智子夫人によれば、四半世紀に渡って書き続けられた『神聖喜劇』が完成した日、巨人は2階から原稿片手に「ボウブラ、ボウブラ」と言いながら降りてきたそうである。「ボウブラ」というのは「ブラボー」の読みを逆さにした大西家の隠語である。

本書の一読者として大西巨人という作家の人生を垣間見た時、胸に湧き起こる感慨もやはりまた「ボウブラ、ボウブラ」という言葉で言い表わせるような気がした。