そのイヤホンを外させたい

そのイヤホンを外させたい

文芸好き。ラノベやWEB発の作品まで視野に入れつつ、文学または物語の趨勢について考えたことを書いていきます。

何かと過酷な時代だが・・・

「今よりも悲惨な時代は過去に多くあった」、「鬱や神経症などの心の病気は貧しいアフリカなどにはない贅沢病だ」。そんな常識人の意見はもう聞き飽きたよ。


冷静に考えれば、過去にどんなに絶望の時代があろうが、今この時代に生を受けた我々にとっては今この時代が全てなのであって過去の出来事は直接的には我々になんの関係もない。「歴史は繰り返す」っていう言葉もあるから参考にしたらいいことあるかもね、その程度の話である。歴史は現在を妥協するために参照するものではなく、変革のために利用するべきものだ。


アフリカの貧困地域では鬱や神経症はない、という主張に関しても、「歴史」が「場所」に変わっただけの話で同じことが言える。それまで過酷な労働条件の会社で働いていた人が普通の会社に転職したら天国のように感じるだろう。(現在の俺のようにw)しかし、最初からその会社にいる人にとってはそこは地獄かもしれない。そんなことは本人にしかわからない。他人がとやかく口を挟むことでもない。


自分にも他人にも理不尽な我慢を強制するような考え方は日本人の悪いくせである。


お年寄りでも、常に「どこが痛い」、「調子が悪い」などとギャースカ騒ぎながら毎日病院に通っている人と比べて、体の不調などおくびにも出さない人の方が大病を患ってあっさり死んでしまったりする。痛い部分を我慢せず「痛い」とはっきり声に出して言える空気の醸成が社会にとってプラスに働くのは明らかだ。


事は単純なはずなのだが、切腹のような究極の我慢比べが過去に大々的に行われていたためか、日本人はなかなかこの悪習(美学?)を捨て去ることができないようである。


以上のことを考慮に入れると、自殺率で見ても世界で上位にランクインする「ひどい社会」、「終わってる国」であるという事実を我々はまずしっかり受け入れるべきだと俺は思う。「世界から尊敬される日本」や「マナーを守る他人思いの日本人」などの現実は目ん玉ひんむいて探してもどこにも見出せない。電車内やファミレスの店内を見渡してみてくれ。見てて胸糞悪くなるような人間ばかりでしょ。目の前の霧を晴らさない限り状況は変わらない。


かと言って必要以上に卑屈になる必要はない。人は人。立派な人、凄い人はまだまだたくさんいる。「この世は眺め方によってワンダーランド」というのは社会学者の宮台真司の言葉だ。俺もそう思う。人間の幸福や生きる意味というのは、ただ物質的に豊かな暮らしにあるわけではなく、裁量権が自分にあるかないかという点で決まると俺は思っている。自分で決めて実行に移したことならば、たとえそれが失敗に終わって多大な損害を被ったとしても人は満足できるものなのである。それこそ、痩せ我慢とは異なる真の「美学」のようなものだ。


せっかくの機会だ。このクソ社会の泳ぎ方は自分で決めましょう。そして、他人の意見に流されているだけでは決してたどり着くことのできない地点から改めて自分の生きる世界を眺めてみましょう。そしたら、どんな風景が広がっているだろうねぇ。