そのイヤホンを外させたい

【書評】ファン・ジョンウン『誰でもない』

 

誰でもない (韓国文学のオクリモノ)

誰でもない (韓国文学のオクリモノ)

 

 

初の韓国文学。

向こうで話題の作家の本邦初訳ということで、「韓国って位置は隣だけど小説はこれまであんまり意識してこなかったからなぁ。一体どんな感じだろう」とドキドキした気持ちで本を開いた。

この作品群における作者の問題意識というのは明白である。朝鮮戦争の爪痕がいまだに残り、90年代以降に本格化した格差社会の中で個人としての本来性を喪失し、本のタイトルにあるように「誰でもない」交換可能な存在として生きざるを得ない人々の、経済的にも精神的にもどこか心もとない不穏な日常を様々な視点から切り取っている。

確かに、「文学を通じて社会を描く」という点では作者の優れた嗅覚と批判精神は評価されてしかるべきだ。しかしながら、日本文学を読み慣れているものにとっては、それだけではいささか不満が残る。

日本においては、戦後から現在に至る長い時間を通じて、他の国には当然のようにある文学と社会のシンプルな関係、いわゆる「政治と文学」が機能不全を起こし続けてきた。なぜなら「文学を通じて社会を描く」というのは、成熟した近代社会において初めて可能だからであり、その成立条件をいくつかの点で決定的に満たしていないこの国においては、作家がそれをベタに試みたとしても永遠にキャンセルされ続けてしまう陥穽がある。

そのため、日本の作家は「文学を通じて社会を描く」ことについてある種の躊躇いを抱きがちである。だが、その前提があったからこそ、現代日本文学は世界の中でも例がないような先進性、多様性を獲得することが可能になったと僕は思っている。

以上のような事情を踏まえた上で本作を読むと、社会派文学として優秀なことは否定しないが、かつてのラテンアメリカ文学のような、現代日本の文芸シーンに波紋を呼ぶような異物感は存在しない。そういうものを期待していただけに読む前にハードルが高くなり過ぎていたのもあるかもしれない。

ともあれ、韓国文学をまだ1作しか読んでないので本書のみで全体を語ることはできない。機会を見つけて、他作品も読んでいきたいと思う。