そのイヤホンを外させたい

純文学ワナビーは必読。『響 〜小説家になる方法〜』の感想

厳しいーなぁ…

っとに、なんだったら売れんだよ。

芥川賞作家の肩書き持っててもこれだもんなぁ。

つーか最近は、受賞作ですら厳しいっスからね。

これ以上悪くなんねーだろって状況なのに、毎年きっちり更新してくれるなぁ。

っとに、

出版不況で漫画が売れねーとか言ってっけど、正直、こっちのほうが百倍厳しい…

どーなんのかなあ文芸は……


『響〜小説家になる方法〜』第1巻第1話「登校の日」より引用



現在スペリオール誌上で連載中。

3巻までしか出てないけど、これ、面白いです。



バクマン』の純文学版って感じかな。バリバリのエンターテイメントである少年漫画の世界と違って、純文の世界は感性重視というか万人に通じる必勝法がないところが面白い。天才は論理では説明できないものだってことがよく分かる。


                                                                              

こんな話


文芸の衰退を嘆く出版社の新人賞に、ある日募集要項をガンムシした手書き原稿が送られてくる。

開封もされずにゴミ箱行きとなった原稿を興味本位で読んだ女性編集者の花井は、『お伽の庭』と題されたそのアマチュアの小説に強い感銘を受ける。

作者の名前は鮎喰響。住所も年齢も職業も性別も電話番号も封筒には書かれてない。やる気あんのか? しかし、才能だけは本物なようだ。

鮎喰響の小説は出版界を、いや世界を変える。そう直感した花井は、何んとかして鮎喰と連絡を取り、掲載にこぎ着けようとするのだが……。


文芸にスターのいない時代

                                                                

「同じ人間が30年間トップにいる業界なんて異常です」



花井が先輩の編集者に言う印象的な台詞だ。



同じ人間とはもちろん村上春樹(作中では祖父江秋人という春樹としか思えない小説家が登場する)を指している。確かに、ここ数年に渡る春樹ブームは見てて複雑な気持ちになる。春樹の小説はわたしも大好きだし、彼の小説がこんなにも評価されるのは喜ばしいことだ。でも、他にも面白い作家いっぱいいるよ! とも同時に思うんですよね。メディア露出が少ないだけで単行本がすぐ絶版になっちゃう純文学作家がなんと多いことか。もったいない。まぁ、春樹はメディア露出は極端に少ない作家なので「それが実力」と言われればどうしようもないけれど。




太宰治のようなスターが再び登場すれば純文学も息を吹き返すはず……!


この時代に文芸誌買って読んでる物好きでも、そう考える人は少ないのではないか。小説で世界を変えるなんて所詮は夢物語。しかし、ほぼほぼ絶望だと分かっていても心の隅では大番狂わせを願っている。規格外の新人の登場を待ち望まずにはおれない。天才は遅れた頃にやってくると言いますしね。本作は、そんなあきらめの悪い純文学フォロワーの期待を裏切らない内容です。


自由を体現する小説家


主人公の響は確かに稀に見る天才です。ですが、フィクションの世界にはこれまで数え切れないほどの数の天才の姿が描かれてきたので、わたしは彼女の奔放な振る舞いを単なる天才の類型としか見れませんでした。よくいる天才、というのは言い方が矛盾している気がしますが、まぁ響はそんなよくいる天才の一人です。



わたしが魅力的に感じるのは、響のような型破りな存在に触れることで自身の才能について悩んだり、一度失った創作への情熱を取り戻したりする彼女の周囲の小説家たち(あるいは小説家の卵)の姿です。



彼らももちろん純文学というマイナーなジャンルを志す人間ですから、現実社会とは相容れない部分を例外なく持っています。普通に生活してるように見えても何となくギクシャクしてしまう。しかしそれでも、響のようにフリ切れるまでには至らない。その針がフリ切れないという不十分な点に彼らの人間としての魅力もあるし、同時に才能に関する課題もあるのだと思います。響という少女を通じて彼らの小説観、延いては人生観を知るのは、小説が好きな自分自身のことも客観的に見るかのようでした。「何で小説なんか読むんだろ?」そんな素朴な疑問が頭の中に浮かび、あらためて考えさせられた。が、結論は出ず。



上で軽くディスってしまった感のある村上春樹が、少し前に『職業としての小説家』という本を出しました。その中で、個人的に印象に残ってる一節があります。

小説というのは誰がなんと言おうと、疑いの余地なく、とても間口の広い表現形態なのです。そして考えようによっては、その間口の広さこそが、小説というものの持つ素朴で偉大なエネルギーの源泉の、重要な一部ともなっているのです。だから「誰にでも書ける」というのは、僕の見地からすれば、小説にとって誹謗ではなく、むしろ褒め言葉になるわけです。

村上春樹『職業としての小説家』p15より引用


小説を書くというのは、新規参入のハードルがないに等しい行為です。それは例えるなら風通しの良い大きな広場であり、入りたい人は誰でもウェルカムな状態を常に保っています。



しかし、万人に分け隔てなく解放されているからこそ、その場所を去っていく者もまた多い。何を書いても自由であり、実績を残すための定まった方法論もないというのは、表目上はのん気に見えても、裏では言い訳の許されない実力の世界です。時に自分を上回る圧倒的な才能を見せつけられ、一文字も書けなくなってしまうこともあるかもしれません。それでも、春樹の言葉を借りれば、社会の中の「自由人」としてのスタンスを崩さない小説家という人種は、潔くて素敵な存在だなぁと思います。



祖父江凛夏ちゃんを応援してます


わたしがこの作品で一番好きな人物は、人気作家祖父江秋人の一人娘祖父江凛夏ちゃんですね。彼女は影の主人公だと思う。



日本を代表する小説家を父に持ち、何でも卒なくこなし校内の人望も厚い彼女ですが、響の特別な才能を目の当たりにしてアイデンティティクライシスに陥ります。この先文壇にデビューしてどんな小説を書いていくのか。果たして親友の響とは異なる形で小説家としての自身の確固たる地位を築くことができるのかが大変気になるところ。こういう器用だけど二番手に甘んじざるをえない人の葛藤ってシンパシーを感じます。応援したい。響と二人でデビュー作で芥川賞同時受賞なんていう展開になったら楽しいなぁ。



コミックスの第4巻は6月末発売。待ち遠しいわー。


職業としての小説家 (Switch library)

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