非恋の時代に心を病むことについて/トイアンナ『恋愛障害』
交際相手のいない男女の割合が過去最高を記録したというニュースが話題になっていた。
本格的な「恋愛氷河期」の時代がやってきたのかもしれない。
結婚願望のある人が8割を超えるというのは、多くの人が現在恋愛をしたくてもできない状態にあることを如実に物語っている。
ちょうどタイミング良く、現代の恋愛の困難さについて書かれた本を読み終えたところでした。
恋愛障害 どうして「普通」に愛されないのか? (光文社新書)
- 作者: トイアンナ
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2016/06/16
- メディア: 新書
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著者はライターのトイアンナさん。ブログもよくバズってるので恋愛クラスタの住人なら知らない人はいないでしょう。
「恋愛障害」というのは本書における著者の造語で、恋愛において対等なパートナーシップを作ることができず長期的に苦しむことを指す。
本書は、大きく分けて以下の3つのパートで構成されています。
1.「恋愛障害」の様々な症例を男女ともに列挙
2.不安や寂しさの原因となる過去の記憶と向き合い、ポジティブな方向に解釈を変える方法について
3.日頃の行動を通じて自尊心を回復させる具体的な訓練法について
1のパートだけでも十分な情報量です。外資系企業でのマーケティング業務や500人以上にも及ぶヒアリングおよび恋愛相談という豊富な経験が活きており、読んでるこちらがちょっと嫌味に感じるくらい詳細なタイプ分けをしてくれています。
女性パートは、僕自身が似たタイプの女性に遭遇した経験があり、なんだか既視感がありました。男性にコントロールされやすい女性って総じて心が無防備なんですよね。だから、こちらから弱点がはっきり見えるし、その部分を攻撃すると簡単にダメージを与えることができる。多くのクズ男は感覚でやってると思いますが、本書では彼女たちの成り立ちや普通の女性との違いについても説明されているので、あらためて腑に落ちるところが多かったです。
男性パートは、恐る恐るという感じで読みました。笑
男性の方で、もしこの本を読んでいて辛くなったら、本を閉じて休憩してください。私の経験では、男性のほうが「自分は傷ついてなんかいない」と強がる傾向にあります。ページをめくりながら笑えなくなってきたら、一度コーヒーブレイクを取りましょう。 p77
との前置きがあったものの、いざ読んでみるとやはり少しだけ腹が立ちました。笑
ダメなのは自分だと頭では理解しているのに、それでも「いや、俺だけのせいではないだろ」という強い反発を覚えました。
二村ヒトシさんの『すべてはモテるためである』を読んだ時にも同じ焦燥感を抱きました。
- 作者: 二村ヒトシ,青木光恵
- 出版社/メーカー: イースト・プレス
- 発売日: 2012/12/02
- メディア: 文庫
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男性ってインチキな自己肯定をしていても女性と比べてそれを同性から指摘されることが極端に少ないので、そのぶん自覚を促すためには第三者からの辛口な批判が必要になるのだと思います。
2については、幼児期~思春期における親(特に母親)との歪んだ関係性や、学校でいじめに遭ったなどのマイナスの情動記憶が、いかにその後の恋愛のハードルを上げ得るかということが詳しく書かれています。これは心理学の本なんかにもよく出てくるので、ほぼ間違いのない事実なんでしょう。
現在の自分が抱える不安感や寂しさの原因であるつらい過去と向き合う重要性を、著者は面白い比喩で表現しているので引用します。
たとえば夜寝ている時に、誰かに見られている気がして目が覚め、窓の外に白い影がユラユラしていて怖くて眠れなくなった場合を考えてみましょう。
この時に、その白い影の実体がなんなのか確認しないと、漠然とした恐怖が続いて眠れなくなってしまいます。でも、思い切って窓を開けて確認したら、昼間干したワイシャツだったとしたらどうでしょう。その後安心してグッスリ眠れるはずです。
現在の漠然とした不安感や孤独感も、多くはこの昼間干したワイシャツと似ています。p124
過去の記憶に蓋をして見ないようにすればするほど、それは存在感を増し、恐怖の感情を呼び起こすということが分かります。勇気を出して目を向けてみれば、拍子抜けするほど些細な出来事だったりもすることも珍しくないようです。
3は、日頃の生活を通じて、失われた自尊心を取り戻すための具体的な方策が色々と書かれています。
- 「ついでの買い物をお願いする」
- 「好きな食べ物を作って一人占めする」
- 「返信をスルーする」
- 「自分の胸がときめく服を買う」
などなど、手取り足取り。
まるでリハビリじゃないですか!
これこそ正に「恋愛障害」ですよ。
今後、こういう人がますます増えていくだろうことは目に見えてますから、これはゆゆしき事態だと思う。小中学校のカリキュラムに「恋愛」を加えてもいいのではないか。中途半端な理解しか促さない性教育を補てんする目的で。
そして、さらに問題なのは、冒頭に挙げたニュースにもあるように、たとえ「恋愛障害」であっても、交際相手がいる時点で優秀というのが今の日本社会なのです。
「恋愛障害」というのは、考えようによっては日々激化する恋愛市場において不器用ながらも格闘した名誉の負傷、勲章であって、真の不安要素は傷つくことを必要以上に恐れて傍観者を決め込んでいるその他大勢なのかもしれません。
恋愛はもはやスキルでいいのかもしれない。