そのイヤホンを外させたい

『源氏物語』を読む1〈桐壺〉〜〈明石〉


紫式部源氏物語』の感想を書いていきたい。


気忙しい日常の中で生まれるぼんやりとした諦念や寂しさにそっと並走してくれるような長い小説を読みたいと考えたら、自然と本作が頭に浮かんできた。通読するなら今だ。


高校時代の古典の授業などで部分的には知ってはいても、この長大な作品が持つ物語としての奥行きと広がり、実際に読んでいく際の触感を知る人の数は案外少ないのではないか。


通して読んでいく中で、他からの借り物でない自分なりの理解が得られればいいなと思う。


今回は「桐壺」〜「明石」まで。

※角川文庫の与謝野晶子による全訳で読んでいます。古本屋で上中下巻合わせてたったの300円でした。

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予備知識なしのまっさらな読者として『源氏物語』に当たった時、主人公の光源氏始め彼を取り巻く人物群の業の深さのようなものに読み手としての自分がジワジワと引き込まれていくような錯覚を覚える。


本作においては、この業の深さに対する無意識の従属と畏怖が、雨や雷などの自然現象に対するそれとあいまって作品の通奏低音になっている気がする。


表面上だけ見れば、光源氏は最初の正妻である葵の上を放ったらかして次々と他の女性に懸想するプレイボーイとして描かれている。そんな彼の恋愛遍歴を順次たどっていくのも本作を読む醍醐味の一つではある。


しかし、光源氏が重ねる恋愛劇の背後には、実母である桐壺の更衣と帝の悲劇に起因する盲目的な母性の追求が常にトリガーとして存在するため、亡き実母の面影を宿す藤壺や若紫に異常なまでの執着を示す。たとえ、その情熱が自身や相手の破滅につながるものだとしても自身の出世以前から両親によって作られた業、カルマに呼応せざるをえない。そんな宿命の揺るぎなさ、やりきれなさ、美しさを描いている点で、本作は『伊勢物語』など類似の恋愛物語を凌ぐ重厚さを獲得しているのではないかと感じた。ただ、他作品をきちんと読んだことがないので、この点については断言できない。


現段階での本作の印象をまとめてしまえば上記のようなことになると思う。だが、読者である自分は、作品内に描かれた細やかな情景の一つ一つに接し、その様を思い浮かべ、積み重ねることによってしか全体の印象を自分の中に構築することはできなかった。まぁ、当たり前の話だけど。


そういった情景はたとえばどんなものだったか。


死んで運ばれていく夕顔の黒い髪の毛が彼女の身体を包む茣蓙(ござ)からはみ出ているのを目撃した源氏の動揺を描いた箇所であったりとか、自分でも無意識のままに生き霊として葵の上に取り憑き彼女を苦しめるほどの怨恨を胸に秘めた六条の御息所が、いつのまにか自身の着物に染み付いた香と焚き付けの匂いをいぶかしむ場面などが自分の場合それに該当する。


「明石」は、政敵の圧力によって一度都落ちした光源氏が京に戻り最愛の紫の上と再会するところで終わる。この時点で、源氏は藤壺を始めとした幾人かの女性と痛切な出会いと別れを繰り返している。その経験は源氏の顔をいくぶんかやつれさせ、悲哀を加えることはあっても、逆にそれによってますます彼の美貌を高めてもいる。そんな描写を作者はしている。


今日はここまで。
またゆるゆると更新します。


※宿命の逃れ難さを描くという点でソフォクレスの『オイディプス王』が頭に浮かんだ。国や時代は異なれど、基調となる作品は構造的に似ている部分が多い。

オイディプス王 (岩波文庫)

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