そのイヤホンを外させたい

京都を舞台にしたポップな哲学散歩小説/原田まりる『ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。』

前に本の感想を書かせてもらった哲学ナビゲーターの原田まりるさんが、小説を出したということで買って読んでみました。


物語プラスαの乳酸菌小説

まず、タイトルといい、版元といい、表紙のイラストといい、岩崎夏海さんの「もしドラ」こと『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』を彷彿とさせる。

出版不況の昨今、過去の成功例にならってある程度の売り上げを確保することは大事ですよね。読んで面白ければ、タイトルとか売り出し戦略がベストセラーのそれと似ていても文句ないです。

自分は本書のように、小説を読みながら何らかの専門知識を獲得できる物語プラスαの作品を、“乳酸菌小説”と勝手に呼んでいます。

なぜ乳酸菌かというと、ちょっと前にロッテが「乳酸菌ショコラ」という商品を売り出しましたよね。チョコレートの中に乳酸菌が入ってるアレです。

チョコと言えば、甘くておいしくて食べ過ぎると虫歯になる嗜好品の王様です。それに乳酸菌が入るって、すごくエポックメイキングな発明だと僕は思うんです。甘いだけで皆が満足していたチョコに乳酸菌という有用性を付加したわけですから。余計なお世話、もとい消費の革命と言えます。

これと同じ流れが「もしドラ」以降、物語にも生じており、年々刊行点数が増えてる印象がある。

前はこの現象をかなり悲観的に眺めていたのですが、本書含めその手の作品をいくつか読んでみたら意外に楽しく読めた。なんで現在は中立です。

人類の長い歴史からすれば、小説というのはまだ生まれて間もない表現形式だから、今後も柔軟に変化していくのかもしれませんね。

難しい思想を日常にインストール

さて、本書はタイトルだけ見ると1冊まるっとニーチェな感じですが、実際には他の哲学者もわんさか出てきます。あくまでも、現代日本人に転生(憑依?)した形として。

こんな哲学者が登場します。

ニーチェ
キルケゴール
ワーグナー(哲学者ではないがニーチェの因縁の間柄として)
ショーペンハウアー
サルトル
ハイデガー
ヤスパース

哲学に興味があるなら知ってて当たり前なメンツですが、いざそれぞれの思想をサクッと誰が聞いても分かるように説明してよって言われても、それはなかなか難しい。

著者は17歳女子高生のイノセントな視線を通して、哲学者たちの難解な思想を一般人の日常レベルに落とし込むことに成功しています。

ニーチェの「ルサンチマン」を、ティーエムレボリューションの歌詞で説明した部分など、的を射た喩えであると同時に遊び心に溢れていて、他の哲学入門書にないとっつきやすさがある。

哲学は、頭が重くなるものではなくて、心が軽くなるものなのだろうか?
そんなことを考えながら、私は今日起こった出来事を、ゆっくりと思い出しながらバス停へと歩く。
p40より引用

哲学の血肉化

サルトル実存主義のくだりで、哲学は本来人生の意味を考える学問ではなく、さまざまなことに対して疑問を持つことだと念を押しています。

しかし、哲学者それぞれの思想の案内という形を取りながらも、本書の根底にあるのは、人生いかに生きるべきか? という問いに対する現時点での原田さんの応答である気がします。

前作にもあったように、自分自身の人生の困難を哲学の思想を血肉化することによって乗り越えてきた原田さんの経験が、物語の中で描かれる主人公アリサの学びと成長の過程を血の通ったものにしている。

特にハイデガーの章は、哲学者の深遠な思想を知るのにユーモアのある喩え話がとても分かりやすく、長年読むのを保留していた『存在と時間』読みたくなりました。

本書を読んでから、興味ある哲学者の著作などに挑戦すると理解が深まっていいかも。

哲学入門書としてはもちろん、親元を離れて京都で暮らす女子高生の青春がちゃんと描かれている点で、小説としても面白かったです。

ではでは。