そのイヤホンを外させたい

剣という病に憑かれた二人の男を描く爽快作/藤沢周『武曲』

武曲 (文春文庫)

武曲 (文春文庫)


「諸手突きで自らの中心を貫いてみろッ。殺せッ」 p7


アルコール依存症で失職の末、警備員の仕事をしながら地元の高校の剣道部コーチを務める矢田部研吾。彼の夢にたびたび出現する老い父親の一喝は、物語の中で彼ともう一人の主人公である高校生、羽田融が追い求める剣の境地を鋭く言い当てている。


相手の中に自分の中心を定め、それを断ち斬ること。


矢田部研吾はかつて殺人剣の使い手として恐れられた父将造と木剣での果し合いの末に彼を植物状態に追いやる。このエピソードが端的に物語るように、本作において描かれる剣はたとえそれが竹刀や木剣であっても例外なく真剣を意味する。

生きるためには何の必要もない代物で、せいぜいが護身術的な武道や格闘技のうち、最も実践から遠いものだと思われているのが一般的だろう。素人には理解が難しいというよりも、すでに剣道は病いなのだ。魔物なのだ。その病いに罹らなければ、腸を引き裂かれるような苦痛も、葉のほんの一揺れに世界の成り立ちを覚える甘美さも、伝わらない。剣を持ったがゆえに、世界に対してコンプレックスを抱え続けてしまうのだ。 p284


剣を握った上での一挙手一投足と内面の揺れ動きが、すぐさま自分と相手の命のやり取りに直結する。そのような現代に全くそぐわない感覚の渦中に自身の本来性を見出してしまった二人の男の転倒と覚醒の様子が本作の味わいだ。青春小説としての枠組みを取りながらも、単なるスポ根小説で終わらないところが藤沢周らしい。


思わぬきっかけから剣道にのめり込んでいく羽田融はヒップホップが好きなミュージシャン志望の青年で、キャンパスノートにお気に入りの言葉群を書き留めている。そんな彼のストックに「滴水滴凍」、「守破離」、「気剣体」、「殺人剣活人剣」、「懸待一致」、「一打絶命」などという異界の言葉が侵入してくる時、彼は剣道部の他の誰よりも真摯に言葉の意味とそれが形作る観念の世界に向き合うことになる。


一級への昇級試験を受けることになった際、融は筆記試験の模範解答にある剣道修練の心構えの中の「国家社会を愛して、広く人類の平和繁栄に寄与せんとするものである」という一節に違和感を持つ。彼はクラスメイトで剣道部部長である白川にその旨を問うが、試験なんだからそのまま覚えて答えればいいと相手にされない。


理は融の側にある。しかし、現代社会の中で既に規格化された剣道の中で彼の考える道は「否」と拒絶されてしまう。


これは僕自身、実社会で似たような経験をしたことがたびたびある。なんだよその物分かりの良さ? 国家とか平和とか人類愛とか吹けば飛ぶようなハリボテの物語にたやすく回収されてんじゃねぇよ…って。だが、違和感を口にすると周囲から面倒な奴、イタい奴と見なされるため大体においては自分の中にとどめて済ませてしまうが…それでも気色悪いもんはやっぱり気色悪い。


融の疑問に無関係を装う白川とは反対に、剣道なんて全く知らない音楽仲間の石崎は、その模範解答にはっきりとした嫌悪感を表明する。

「……俺、羽田がこのまま書くとしたら……、羽田と絶交だわ」
予想もしなかった石崎の言葉に、融も花沢も思わず視線を上げた。石崎はいつもの能天気な表情を落として、冷めた眼差しを筆記問題の紙に投げていた。
「この……国家社会ってやつ? 寄与ってやつ? 俺は国とか社会とかに役に立つ人材? みたいな貧しさは、嫌だ」 p385


それまでノーマークだった石崎という脇役が唐突に上のようなことを言うのだからびっくりする。リアリティを感じた。国家とか平和ってベタに語ろうとすると言ってる側が途端にチープになるから。


藤沢周の小説はこれまで芥川賞を受賞した『ブエノスアイレス午前零時』と『雨月』を読んだが、自分的にはハズレがない。文学的な触感を堅守した上で一般にも受け入れやすい物語を紡いでいるところが好きだ。


物語自体はラブホテルの話とか葬儀屋の話とかわりと俗っぽいパルプフィクションみたいな話が多いのだけれど、文学作品と同様の読後感がある。


話の内容よりもそれをどう文章で表現するか。物語の類型が出揃った現代においては大事な考え方であるように思う。

英語独学で手堅くTOEIC650点取る勉強法とおすすめの参考書

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僕は大学時代に英文学を専攻していたのだけど、手に取るのはいつも翻訳ばかりでほとんど英語の勉強をせずに卒業した。


当時は何とも思わなかったが、社会に出てからも引き続き英米の作品を読んだりそれについてブログに書いたりする中で「やっぱり、ある程度は英語ができないと格好がつかないよな」と思い始め、書籍を軸にした独学で定期的にTOEICを受験するようになった。高い金を払って留学や英会話スクールに行くという選択肢は薄給のサラリーマンにはそもそもない。


途中モチベーションが続かず勉強から離れた時期があったものの、先日の試験で無事685点を取ることができた。まだまだ発展途上ではあるが、これまでやってきた勉強法と使って効果の得られた教材をここにまとめておきたい。


学習時間については人それぞれだと思うので敢えてここでは書かない。ネットでは3ヶ月で一気に800点、900点なんていう記事をよく見掛けるけど、実際取り組んでみると、まぁ、そううまくいくものではない。てか、3ヶ月勉強して自分の思うような成果が出なかったら勉強を放棄しちゃう。そんな短絡思考こそ英語独学における最大の敵なんじゃないかな。


自分で発音できない音は聴き取れない


英語学習において非常に重要なステップであるにも関わらず、多くの人がスルーしてしまうのが発音だ。


確かに、発音の勉強は実戦的な英会話などと異なり単調でつまらないので、なしで済まそうとする人の気持ちはよく分かる。


しかし、最初にこれをやるかどうかで後のリスニング能力に天と地ほどの差が生まれることを多くの先行学習者たちが指摘している。僕も全く同じ意見だ。


自分の場合、発音の教材として王道の『英語耳』のCDを毎日聴いて練習をしていたら、一ヶ月を過ぎた頃、海外の映画やドラマで登場人物の台詞がそれまでよりもクリアーに聞こえるようになって驚いたことを覚えている。

英語耳[改訂・新CD版] 発音ができるとリスニングができる

英語耳[改訂・新CD版] 発音ができるとリスニングができる


『英語耳』のCDは25分ほどで全ての発音項目の練習ができるので、毎日取り組むのに適している。だが、本書には著者によるコラムや歌ったり原書を読んで英語力を高める、なんていう初学者には時期尚早な内容も多く含まれているので注意が必要。ひとまず、基本の発音項目と音の連結の章までをマスターすれば足りる。


僕は『英語耳』に書かれた各発音項目の口の開け方や舌の動かし方の説明が最初いまいちピンとこなかったので、事前に以下の教材でネイティブによる発音を映像で確認してから、あらためて『英語耳』を用いての練習に移行した。

DVD&CDでマスター 英語の発音が正しくなる本

DVD&CDでマスター 英語の発音が正しくなる本

知り合いにネイティブがいればチェックしてもらえるけれど、そのような恵まれた環境にある英語独学者はあまりいないだろうから、『英語耳』の説明が?だった人はぜひ試してみてほしい。

高校受験用の文法書と瞬間英作文で中学英文法をマスターする


発音と同時に中学英文法の総ざらいをする。分かったつもりでいても意外に抜けがあることも多いため、発音同様、土台作りの意味でしっかりと固めておきたい。

中学の文法は、学生時代によっぽどサボってない限り『くもんの中学英文法』を一度通読すれば十分。

くもんの中学英文法―中学1?3年 基礎から受験まで (スーパーステップ)

くもんの中学英文法―中学1?3年 基礎から受験まで (スーパーステップ)

その後、『どんどん話すための瞬間英作文トレーニング』を使って文法書で学習した知識を身体に叩き込んでいく。

どんどん話すための瞬間英作文トレーニング (CD BOOK)

どんどん話すための瞬間英作文トレーニング (CD BOOK)

知らない人のために一応説明しておく。瞬間英作文とは、短い日本語の文章を見て即座に英文を言えるようにするアウトプット重視の学習法だ。


本書には中学で習う構文のほとんどが例文として掲載されているため、それらを用いての瞬間英作文が出来るようになれば中学英文法を自由に使いこなすための運用能力が身についたことになる。


実際にやって分かったのだが、瞬間英作文をやるとスピーキング力が高まるだけでなく、英文そのものの処理速度とリスニング力も同時に高めることができるので、とてもおすすめの勉強法である。

音読でリーディング力、リスニング力の底上げをする


英語学習において最も効果的な学習法と言える音読。リピーティング、オーバーラッピング、シャドーイングなどのやり方があるが、まずは『みるみる英語力がアップする音読パッケージトレーニング』で、リピーティング、シャドーイングの習慣を身につける。

みるみる英語力がアップする音読パッケージトレーニング(CD BOOK)

みるみる英語力がアップする音読パッケージトレーニング(CD BOOK)

本書に限らず、下で紹介するDUOのような例文型単語集やTOEICの公式問題集などに載っている英文を同じように音読することによって、英語力は徐々に高まっていくので、ここでしっかり基礎力をつけておきたい。

『一億人の英文法』で生きた文法を学ぶ


大学受験レベルの英文法の習得に関しては、いきなり分厚い問題集に取り組むとつまらなくて挫折する可能性が高い。


おすすめは『一億人の英文法』だ。

一億人の英文法 ――すべての日本人に贈る「話すため」の英文法(東進ブックス)

一億人の英文法 ――すべての日本人に贈る「話すため」の英文法(東進ブックス)


本書を通読することで実際の英会話にも役立つ生きた英文法が身につく。本書で概要を掴んだ上で、足りない部分は他の詳しい文法書で逐一調べるのが効率が良いと思う。

『DUO3.0』は英語独学者の強い味方


語彙力向上には、まず『DUO3.0』に取り組むことをおすすめする。

DUO 3.0

DUO 3.0


『DUO3.0』に載っている単語はTOEICで出題されないものも含まれているので、避けて通る学習者もいるけれど、僕はそれでも本書を活用することを推奨する。


別売りの復習用のCD(基礎用のCDは不用)を使って何度もシャドーイングすることで、語彙力とリスニング力を大幅に高めることができるのに加え、本書をマスターしたという事実は、英語学習者として大きな自信につながる。


最後までやり通せば、なぜ世の中にこれほど本書の愛好家が多いのか理解できると思う。

TOEIC向けの教材で知識の補強をする


ここまででTOEIC600点前後は取れるだろう。


最後に、TOEIC向けの教材や公式問題集などで試験対策をする。

公式TOEIC Listening & Reading 問題集2

公式TOEIC Listening & Reading 問題集2

公式問題集の他に僕が実際に取り組んだのは、part5対策として『文法特急』、TOEICに特化した単語の補強として『金のフレーズ』の特急シリーズを使用した。両方ともコンパクトながら中身が濃く、何度も繰り返し復習することでTOEICにおいて頼もしい味方になる。

1駅1題  新TOEIC TEST文法特急

1駅1題 新TOEIC TEST文法特急


まとめ


以上のステップを踏めば、TOEIC650点は突破できると思う。


僕自身もそうだが、600点を超えてしまえば勉強することが苦ではなくなるので、高いモチベーションを保った上で勉強に取り組める。


ここから先は、よりTOEICに目的を絞った勉強にしてもいいし、英会話に特化した勉強に切り替えてもいい。もちろん、二つを同時に進めることも可能だ。


進展があったらまたここで共有します。

『源氏物語』を読む1〈桐壺〉〜〈明石〉


紫式部源氏物語』の感想を書いていきたい。


気忙しい日常の中で生まれるぼんやりとした諦念や寂しさにそっと並走してくれるような長い小説を読みたいと考えたら、自然と本作が頭に浮かんできた。通読するなら今だ。


高校時代の古典の授業などで部分的には知ってはいても、この長大な作品が持つ物語としての奥行きと広がり、実際に読んでいく際の触感を知る人の数は案外少ないのではないか。


通して読んでいく中で、他からの借り物でない自分なりの理解が得られればいいなと思う。


今回は「桐壺」〜「明石」まで。

※角川文庫の与謝野晶子による全訳で読んでいます。古本屋で上中下巻合わせてたったの300円でした。

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予備知識なしのまっさらな読者として『源氏物語』に当たった時、主人公の光源氏始め彼を取り巻く人物群の業の深さのようなものに読み手としての自分がジワジワと引き込まれていくような錯覚を覚える。


本作においては、この業の深さに対する無意識の従属と畏怖が、雨や雷などの自然現象に対するそれとあいまって作品の通奏低音になっている気がする。


表面上だけ見れば、光源氏は最初の正妻である葵の上を放ったらかして次々と他の女性に懸想するプレイボーイとして描かれている。そんな彼の恋愛遍歴を順次たどっていくのも本作を読む醍醐味の一つではある。


しかし、光源氏が重ねる恋愛劇の背後には、実母である桐壺の更衣と帝の悲劇に起因する盲目的な母性の追求が常にトリガーとして存在するため、亡き実母の面影を宿す藤壺や若紫に異常なまでの執着を示す。たとえ、その情熱が自身や相手の破滅につながるものだとしても自身の出世以前から両親によって作られた業、カルマに呼応せざるをえない。そんな宿命の揺るぎなさ、やりきれなさ、美しさを描いている点で、本作は『伊勢物語』など類似の恋愛物語を凌ぐ重厚さを獲得しているのではないかと感じた。ただ、他作品をきちんと読んだことがないので、この点については断言できない。


現段階での本作の印象をまとめてしまえば上記のようなことになると思う。だが、読者である自分は、作品内に描かれた細やかな情景の一つ一つに接し、その様を思い浮かべ、積み重ねることによってしか全体の印象を自分の中に構築することはできなかった。まぁ、当たり前の話だけど。


そういった情景はたとえばどんなものだったか。


死んで運ばれていく夕顔の黒い髪の毛が彼女の身体を包む茣蓙(ござ)からはみ出ているのを目撃した源氏の動揺を描いた箇所であったりとか、自分でも無意識のままに生き霊として葵の上に取り憑き彼女を苦しめるほどの怨恨を胸に秘めた六条の御息所が、いつのまにか自身の着物に染み付いた香と焚き付けの匂いをいぶかしむ場面などが自分の場合それに該当する。


「明石」は、政敵の圧力によって一度都落ちした光源氏が京に戻り最愛の紫の上と再会するところで終わる。この時点で、源氏は藤壺を始めとした幾人かの女性と痛切な出会いと別れを繰り返している。その経験は源氏の顔をいくぶんかやつれさせ、悲哀を加えることはあっても、逆にそれによってますます彼の美貌を高めてもいる。そんな描写を作者はしている。


今日はここまで。
またゆるゆると更新します。


※宿命の逃れ難さを描くという点でソフォクレスの『オイディプス王』が頭に浮かんだ。国や時代は異なれど、基調となる作品は構造的に似ている部分が多い。

オイディプス王 (岩波文庫)

オイディプス王 (岩波文庫)

ベッドはただ寝るだけの場所なんかじゃない。/シルヴィア・プラス『おやすみ、おやすみ』

子供の頃、ベッドは小さな秘密基地のようなものだった。


今日は珍しく、好きな絵本など紹介してみる。


本のタイトルは、『おやすみ、おやすみ』。

おやすみ、おやすみ (詩人が贈る絵本)

おやすみ、おやすみ (詩人が贈る絵本)


本のカバーには、「詩人が贈る絵本」という記載がある。


作者はアメリカの詩人シルヴィア・プラス
英米の小説を好んで読む人間なら、知っている人も多いかと思う。


しかし、多くの人の詩人シルヴィア・プラスに対するイメージは、類まれなる才能を持ちながらも、精神疾患によって自殺を余儀なくされた自己破滅型の詩人というものではなかろうか。


そのへんの事情は彼女の詩集や自伝的小説『ベル・ジャー』に詳しく書かれているので未読の人はぜひ読んでもらいたいと思うのだが、僕がそれ以上に本書『おやすみ、おやすみ』をおすすめしたいのは、上記のような負のイメージとは異なる、純粋で、遊び心に溢れた想像力の持ち主としてのシルヴィア・プラスを再発見することができるからだ。


僕は本屋で偶然この本を立ち読みしてびっくりした。「え、シルヴィア・プラスってこんな温かい作品を残してたの?」と意外に感じたことをよく覚えている。


ベッドはただ寝るだけの場所なんかじゃない。


と、プラスは言う。
もっと色んなベッドがこの世界にあっていいはずだと。

もう1つのベッドは
みんなの のぞみどおりのベッド。
なんていうか まるで
どこも シミばっかりのベッド。

黒いシミ 青いシミ ピンクのシミ
まったくもう シミばっかりの 毛布。
だれも だから 気にしない。
インキを そこらじゅうに こぼしても。

犬と ねこと インコが
どろだらけの足で
ベッド・カヴァーのうえで
いっしょになって ダンスしたって

ぜーんぜん もんだいなし!
こっちにも あっちにも ジャムのシミ
こっちにも あっちにも ペンキのシミ
どこも シミばっかりのベッドなら。

シルヴィア・プラス『おやすみ、おやすみ』(みすず書房)より引用。


この他にも、本書には奇想天外なベッドがいくつも登場する。


とても勝手な物言いになるけれど、彼女の短い生涯の中で、一時期でも本書のようなのびのびとした創作に打ち込めた期間があったことを大変うれしく思う。


ちなみに、本書の挿絵を担当しているは、『チョコレート工場の秘密』で日本でも有名なクウェンティン・ブレイク。とても可愛らしい。


子供と大人、両方の想像力を刺激してくれる1冊。眠れない夜の楽しい言い訳としてもお使いください。


プラスの生涯を描いた映画作品。詩人としての彼女の功績を詳しく知りたい人におすすめ。主演のグウィネス・パルトローが結構はまってます。

シルヴィア [DVD]

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「海」は異質な何かを運んでくる。/ジョゼフ・コンラッド『エイミー・フォスター』

前回の『闇の奥』に続き、コンラッドの短編作品を読んでいた。

コンラッド短篇集 (岩波文庫)

コンラッド短篇集 (岩波文庫)


本書には全部で6つの作品が収録されているが、その内の5つは「政治小説家」、「歴史小説家」としてのコンラッドを特徴づけるようなラインナップになっている。


もともと血湧き肉躍るような冒険小説や犯罪小説が好きなこともあって、それらの作品たちも十分楽しく読めたのだが、全て読み終えてから、さて、どれが一番印象に残りブログで言及したくなったか、というと、それは意外にも作品の装飾としては最も地味な『エイミー・フォスター』だった。


僕は、休日にキャンプや海水浴に行くような行動派ではないものの、文芸作品に描かれる「海」が好きだ。


コンラッドは言わずと知れた「海」の作家だから、作品内にそれが登場するのは何ら珍しいことではない。しかし、『エイミー・フォスター』に描かれる「海」は際立って魅力的に感じられる。


海辺の田舎町にエイミー・フォスターという、これといって特徴のない、どちらかというと鈍臭いタイプの女性が暮らしている。自身が可愛がっていたオウムが猫に襲われていても助けることができず、ネズミ捕りにかかったネズミを見ても泣き出してしまうようなエイミーの日常は、奉公先である農園とそこから歩いて行ける場所にある実家までの範囲に限られていて、彼女自身そのことを不満にも思っていない。そんなエイミーが、嵐による船の難破によって浜に流れ着いた言葉の通じない異邦人、ヤンコーを助けたことがきっかけで激しい恋に落ちる。


短い話だし、今後何かの機会に読む方もいるかもしれないので、本作の悲劇的な結末についてはこれ以上は触れないでおく。


ただ言えるのは、何か異質なものを不意に連れてきて、その偶然性、または必然性については沈黙を守り、ただ存在することによってのみ目の前の出来事を肯定し、最終的にはその全てを包摂する「海」の優しさと峻厳さの相反するイメージは、コンラッドの小説を読み解くにあたって重要な要素であるように僕は思う。


異郷の地で言葉の通じないヤンコーは、ポーランド人でありながら二十歳を過ぎてから英語を学び英語で小説を書いた作者自身の境遇に通じるものがある。コンラッドにとって、「海」は自分と他者の間を決定的に隔てるものであると同時に、国籍や言語の違いを超越した共通理念としてあったのかもしれない。


僕自身の中の特別な短編小説フォルダに、また一つ作品が加わりました。


*『エイミー・フォスター』はレイチェル・ワイズ主演で映画化しています。原作とは設定が異なるものの、作品内に登場する海と自然がとても綺麗です。おすすめ。

輝きの海 [DVD]

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虚無のゆくえ/ジョゼフ・コンラッド『闇の奥』

闇の奥 (岩波文庫 赤 248-1)

闇の奥 (岩波文庫 赤 248-1)


19世紀末、貿易会社勤務の水夫マーロウは、派遣されたアフリカ奥地の出張所で川の上流に位置する最深部の出張所をあずかるクルツという人物の不可解な噂を聞くにおよび、彼を探すため船で川をさかのぼっていく。


ジョゼフ・コンラッド『闇の奥』の物語の大筋はエンタメ小説のそれのように単純だ。


事実、作者コンラッドは長らく冒険譚やメロドラマを得意とする海洋小説家として知られており、彼の作品に対する文学的評価は後になってからついてきたものだった。僕は本作の後にコンラッドの短編作品もいくつか読んでいるのだが、そちらはモーパッサンの作品に冒険とロマンスの風味を加えたような、一般受けする、良い意味でも悪い意味でも隙のない作品が多い。


しかし、この『闇の奥』に関しては僕はすんなり読むことができなかった。読んで最初に持った印象は、その語りの捉えどころのなさだ。


マーロウが、アフリカ奥地での体験を時に観念的な言葉を織り交ぜながら滔々と語るという形式、これは作品構成の観点から見れば杜撰と言われても仕方がない。


だが、まるで一夜の悪夢を思わせる歪で不穏な空気が作品全体を包んでおり、文明の光の届かない未開の土地に対する根源的な畏怖の念と、その最深部にいるクルツという謎の人物の神秘性を否応なく高めてくれる。なにやら、抜き差しならないものを読まされているという興奮があるのだ。


でも、現代の読者は「未開の土地に対する根源的な恐怖」と言ってもピンとこないのではないかと思う。


コンラッドの生きた時代には、今とは異なり、世界地図の中にまだ文明人が足を踏み入れたことのない空白の領域が多く残っていた。

ところで、僕は子供の時分から、大変な地図気狂いだった。何時間も何時間も、よく我を忘れて南米や、アフリカや、濠州の地図に見入りながら、あの数々の探検隊の偉業を恍惚として空想したものだった。その頃はまだこの地球上に、空白がいくらでもあった。中でも特に僕の心を捉えるようなことがあると、(いや、一つとしてそうでないところはなかったが、)僕はじっとその上に指先をおいては、そうだ成長(おおき)くなったらここへ行くんだ、とそう呟いたもんだった。 (p17より引用)


男の子ならば一度は持ったことがあるであろうまだ見ぬ外の世界への憧れと情熱をマーロウは持っていた。クルツに関してもそれは同様だ。


そのようなピュアな心性が、列強による帝国主義、植民地化政策、土地の先住民に対するヨーロッパ的倫理観の押しつけ、という国家的イデオロギーと重なった時、末端にいる個人の内面に決定的な分裂が生じる。その結果として、事切れる前のクルツが発する有名な言葉、「地獄だ! 地獄だ!」(原文では「The horror! The horror!」)はあるのではないか。


僕は、過去の文学作品を読む際には、文学史的な意味合いにおける作品の評価とは別に、今ここにある自分がその作品を読む意味について考えを巡らすことをなるべく心掛けている。キツいけど。


確かに、今や世界地図の中に空白はなく、コンラッドが描いたような神秘の暗黒大陸は姿を消した。帝国主義や植民地化政策という歴史教科書的なキーワードにしたって、今の自分が当事者性を持つことはなかなか難しい。


しかし、上に書いたような国家をはじめとした権威的な何かと個人の理想の関係性は、世界地図の白紙の部分が消失したことによって今まで以上に錯綜してきたのではないかと思う。


インターネットやSNSの発達によって、多くの個人がいつ何時でもつながることができるようになった。今後は多様な社会が訪れる、と楽観的なことを言う人もいる。


しかし自分の周りを見回してみると、人々は他者の振る舞いに対してより非寛容的になり、移民を排斥し、一昔前の家族や親戚、地域共同体にあった相互扶助の関係性も機能停止の状態にあると思う。


結局、アフリカの最深部でクルツが眺めた虚無が世界全体に拡大し、彼が経験したと同じ孤独と諦観を僕らが日常的に味わうようになった。ただ、それだけの話なのではないだろうか。


現代のクルツは、一人部屋に引きこもってスマフォの画面を眺めて言う。


「地獄だ! 地獄だ!」





【キーラ・ナイトレイ出演作】文学作品が原作の映画4選

学生時代は時間がありあまるほどあり、映画を1日に3本鑑賞することも決して珍しくありませんでした。


でも、社会人になってプライベートの時間が限定されると、今では月に5本鑑賞できれば贅沢と言えるくらい映画との距離が遠ざかっています。


それでも、好きな文芸作品の映像化作品はなるべくチェックするようにしています。原作と映像作品の細かな違いとか見つけるの好きなんです。


いくつかの作品を観ている途中で感じたのは、キーラ・ナイトレイの顔をよく見るなぁということ。


パイレーツ・オブ・カリビアン』をはじめ大作映画への出演で、日本でもわりとポピュラーな女優さんかなと思います。


ジョー・ライト監督作品の常連である彼女は、誰もがタイトルだけは知っている文学作品の映像化でヒロインに抜擢されることが多いです。


どの作品でも安定感のある名演技をしているので、原作を読む際にはぜひ手にとってみてください。僕自身が原作含め鑑賞した範囲で4作品ほど挙げておきます。


ちなみに、彼女自身の愛読書はトルストイの『戦争と平和』とのこと。


1.プライドと偏見

プライドと偏見 [DVD]

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ジェーン・オースティンの代表作を映像化。本作はストーリーの特性上、派手な事件がほとんど起こらないため、おのずと役者の演技の技量に目がいきがちです。役者の何でもない所作が凡庸だと作品そのものが台無しになる。キーラは、聡明かつ天真爛漫なエリザベスを原作の雰囲気を損なうことなく演じ切っています。

自負と偏見 (新潮文庫)

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2.つぐない

つぐない [DVD]

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原作は現代英国文学の重鎮イアン・マキューアンのシックな長編小説。キーラ演じるセシーリアは、実の妹のたった一つの些細な嘘によって運命を狂わされ、悲劇的な結末に追いこまれていく。圧巻なのは、愛し合う一組の男女にとっては神聖なものである逢引の瞬間が、子供の目から見るとおぞましいものにしか映らないという残酷な行き違いが生じる場面です。個人的には、彼女の出演作でこれが一番好き。

贖罪〈上〉 (新潮文庫)

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3.わたしを離さないで

昨年日本でもTVドラマ化された作品の本国版。原作はカズオ・イシグロの同名小説。キーラは、ヘールシャムと呼ばれる寄宿学校で生活する仲良し3人組の一人ルースを演じる。このルースという少女の周囲で生じる悲劇は、彼女が置かれた環境によるものと彼女自身の特性によるものの両方が混在しており、その複雑性が人物の魅力を形成しているように思います。キーラは、そういった少女のやるせない感情を抑制の効いた演技で表現している。

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

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4.アンナ・カレーニナ

アンナ・カレーニナ [DVD]

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19世紀ロシアの文豪トルストイの言わずと知れた姦通小説の傑作を映像化。単なる人妻の不倫の話なのに、ロシアの大地と社交界が舞台になるとたちまち一大スペクタクルになる。トルストイの作品には作者の俯瞰的な視線によって登場人物を駒のように動かし、そこから血の通った全体性、普遍性を作っていく特徴があると僕には感じられるのですが、この映画ではその感じがよく出ています。ヴロンスキーが原作よりもイケメン過ぎる気がする。小説の方では確か部分禿げがあったような気が……。

アンナ・カレーニナ〈上〉 (新潮文庫)

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おまけ.危険なメソッド

危険なメソッド [DVD]

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本作は小説原作ではないけれど、人文学つながりで心理学者、精神医学者のユングフロイトの一筋縄ではいかない関係性を文学と捉えることもアリかなと。キーラ扮するヒステリー患者ザビーナは二人の天才の間でファム・ファタールの役割を演じます。冒頭の精神病患者としての彼女の演技は鬼気迫るものがあり、女優としてのプロ意識の高さを感じます。

精神分析入門 (上巻) (新潮文庫)

精神分析入門 (上巻) (新潮文庫)



ここまで書いてきて気づきましたが、キーラは悲劇のヒロインを演じることが多いですね。自然、作品そのものも後味の悪いものが多い。でも、もれなく面白いよ。

それでは。